「獲物はっけ〜ん」
人手確保のため、森で手頃な妖獣を補充して、そろそろ切り上げようとしたところに、大妖が顔を覗かせた。赤い目をギラつかせて近づいてくるそいつは、命手繰りを見てにんまりと笑う。ただで逃がしてくれなさそうな雰囲気に、思わずため息が出る。
「ふぅん、このあたしに恐怖を抱かないなんて、お前なかなかやるじゃん…って、なんだ?空っぽだなお前」
「それはどうも。私ではあなたを満たせないでしょう。失礼します」
精神を喰らう妖怪なのだろう。であれば、操り人形の命手繰りに用はないはずだ。さっさと帰ろうと大妖から離れるが、やはり簡単に手放してくれないようだ。
「おいおい、響ちゃんは暇してるんだよー。あんまり美味くなさそうだけど、相手くらいしてくれてもいいでしょ〜?」
響と名乗る妖怪は妖力を集め、何か仕掛けてくるそぶりを見せた。戦闘用に作られていない命手繰りにとって、相手の先制攻撃よりも先に動きたいところだ。仕方ないと、両指から赤い支配の糸を出し、響の両腕に絡みつかせる。
「なんだこれ?」
響は攻撃態勢を止め、腕の糸を眺める。操ってやろうとしたが、命手繰りの妖力では響に全く影響を及ぼせないようで、効果はなかった。
「こんな糸であたしをどうにかしようなんて笑えちゃうね!」
響は何もなかったように糸を切り裂く。
「じゃ、次あたしの番ね」
響が妖力を溜め始めるが、命手繰りは慌てることなく、じっとしたままだ。先程、糸に気を取られている隙に準備はできた。
響が攻撃するよりも早く、命手繰りを囲うように、どこからか妖獣が集まってきた。赤い糸に繋がれ、意思も何もない人形のような者が十から二十体程。
「あなたの相手は彼らがしてくれますよ」
「逃げるってか。まあいいや、こいつらの洗脳解いて食べる方が、あんたよりよく味わえそうだし」
妖獣の糸を引きちぎって恐怖を貪り出した響を置いて、命手繰りはその場を後にした。
「異界送り、帰還します。ゲートを」
そう言うと、命手繰りの目の前に巨大な鏡が現れ、そのまま鏡の中へ足を踏み入れた。
折角の収穫を奪われたのは残念だったが、彼らは命手繰りを無事に帰すという役割を果たしてくれた。最低限の働きをこなしてくれただけマシだと思うことにした。
「おや、来客とは珍しい。ようこそ、狭間の図書館へ」
読んでいた本から顔を上げ、エウメビは図書館へ訪れた白狐に声をかける。
「どうも、エウメビ殿。稀炎様から調べ物を頼まれてな」
炎神の式神、丗はメモ書きの紙をひらひらさせて目的を伝える。稀炎自らやって来ることが多かったが、今回は忙しかったのだろう。
「本ならご自由にどうぞ」
「そうしたいところだが、ここは本が多すぎて我では探せる気がせん。それに……」
丗はメモ書きを見て眉間に皺を寄せる。
「稀炎様が何を調べたいのかが全く分からん」
どういうことかと丗からメモ書きを受け取る。
「タブレットにゲーミングPC、これは、家庭用ゲーム機にそのソフトの名前、ですか……?」
どれもこれも幻夢界とは縁のなさそうな、人間界の機械や娯楽の名前ばかり。丗が分からないのも当たり前だろう。
「どうしてあの方はこんなもの知ってるんですか……」
「好奇心旺盛な方だからなぁ。人間界の子から何か聞いたのかもしれん」
「なるほど。そこまで詳しくはありませんが、稀炎様への解答を用意しますので少しお待ちを。あぁ、タブレットならこちらの人間からいただいたものがあるので、よければ持って行きますか」
「なんと!それはきっと喜ばれる!よく分からんが!」
慎重に扱うように注意し、丗にタブレットを渡す。丗は何をするものかも知らないようで、物珍しそうにひっくり返したり裏返したりして、まじまじとタブレットを観察している。
「おお!何か映ったぞ!さ、触ると動く!なっ!?人間が喋りだしたぞ!どうなってるんだこれ」
「調べ物をしたり、思い出を記録したりできる賢い機械ですよ」
エウメビはメモに解説を書きながら、テンションが上がっている丗に返事する。丗は感心しながら、これはなんだあれはなんだと、ずっと楽しそうにタブレットを弄っていた。
「はい、できましたよ。概要だけしか書いてませんが、気になるようでしたら、ご自分で調べるよう伝えてください」
「エウメビ殿は博識だなぁ。何が書いてあるのか全く分からん。ともかくこれで稀炎様も喜ばれることだろう。感謝であるぞ!」
それではと丗は一礼し、図書館の出口に消えていった。
「しまった、タブレットの返却日を伝え忘れました。返してもらえますかね……」
「ここが神のみが立ち入れる場所、神宴楼ですか。幻夢界にこんな空間があるとは。まだまだ私の知らないこともあるのですねぇ」
空間の創造神鋭子は、夜空を背景にオレンジの灯りで照らされた巨大な建物を見上げる。木造の城のような旅館で、荘厳な雰囲気を纏っている。
特殊な方法でしか来られない異空間のこの場所だが、空間の神は自らの力でここへやってきた。正規の方法で来てないせいか、入り口ではなく中庭へ降りたってしまったが。池や木々が配置された庭は、そこだけでも一つの施設と言えるほどの広さであった。鋭子は辺りを興味深げに見ながら建物の入り口へ向かう。
建物の入り口には石畳の道が敷かれていて、本来はここを通ってくるのだろう。鋭子が道まで歩いていくと、ちょうど建物へ入ろうとしていた少女と目があった。青い巫女服を来た金髪の少女で、手には酒瓶を持っている。
「こんにちは、見かけない方ですね。もしかして、初めてですか?」
少女からは疑いや敵意は感じられず、ただ鋭子に挨拶しただけのようだ。
「どうも。ええ、ここが神宴楼なんですよね?」
「はい。神の集う旅館、神宴楼です」
少女は瑠璃姫と名乗り、案内を申し出てくれた。
「お休みになられるなら、受付で申し込みを。お仲間と飲みに来られたのでしたら、部屋の名前が分かれば私が案内しますよ。お買い物でしたら、奥の棟ですね」
「泊まるだけでなく、いろいろできるのですね。私は見学というか、ちょっと来てみただけなんですが、大丈夫でしょうか?」
「もちろん。部屋を借りる以外、中では自由にして良いんですよ」
そんな会話をしながら玄関に入り、建物内へ立ち入る。中は落ち着いた雰囲気の明かりで、受付と椅子が並べられた休憩スペースが設けられている。
「瑠璃姫さんは飲みに行かれるのですか?」
「はい、このお酒を持ってくるように頼まれてまして……。よければ一緒に来ます?うちの神様は大人数で飲むのを好まれているので」
「良いのですか?でしたらいろいろお話も聞きたいですし是非」
瑠璃姫はこちらですと言い、昇降機に乗る。三階で降り、薄暗い廊下を進んでいく。宴会場が並んでいるようで、各部屋から賑やかな声が聞こえる。
「おーい瑠璃ー!遅いぞ〜!酒、酒!」
一室から瑠璃姫を呼ぶ鬼が顔を覗かす。
「はーい!あはは、あちらです」
瑠璃姫は苦笑いして鋭子に部屋を示す。鬼と、顔を赤くしてぶっ倒れた狐が見える。なんとなく、この子が二人に振り回されているんだろうなと、鋭子も苦笑いで理解を示した。
「もう桜が咲いたの?」
「うん、絵都子が見つけたんだって。氷璃にも見せたいからってことで、僕がパシリさせられてるってわけ」
氷璃の周りをふよふよと飛びながら、エレはやれやれと肩をすくめる。
虹の森。雨も降っていないのに頻繁に虹が架かる森。雪解けの季節で春のように暖かい日もあるが、桜が咲くには少し早い気もする。たまたま早咲きのものを見つけたんだろうか。氷璃は無邪気にはしゃぐ絵都子を想像して微笑む。
「じゃあ、案内頼むわね」
「はいはーい」
エレは空中で一回転すると、二本の尾を揺らして森を進んでいく。
そのままエレについて歩いて行くと、数本の桜の木が見えてきた。氷璃は思わず足を止める。エレは気づかずにあそこだと言い、こちらに背を向けて木を眺めている絵都子の元へ飛んでいく。
おかしい。この時期に桜が満開になるはずがない。嫌な予感が氷璃の心をざわつかせる。
「あ、氷璃ー!みてみて!桜〜〜〜!」
エレに声をかけられて振り返った絵都子が、氷璃に気づいて大きく手を振る。確かめなければ。氷璃はいつも通りの笑顔を作り、絵都子とエレのいる所へ向かう。
「すごいわね、もう満開だなんて」
「だよね!良かった!すっごく綺麗だから、氷璃も喜んでくれると思って!」
絵都子が嬉しそうに言うと、強い風が吹いて花びらが舞った。エレが花びらを捕まえようと遊び出す。
平和な光景……氷璃の瞳にはそう映らなかった。この桜は自然に咲いたものではない。誰かに無理矢理咲かされたのだ。
「ねえ絵都子。この桜はあなたが咲かせてくれたの?」
「ん?そうだよ?」
首を傾げる絵都子。その少し狂気じみた笑顔は、彼女の能力が発動していることを示していた。狂気の感情を操る能力。たまに絵都子自身が狂気に呑まれることがあるのだが、今がその時だった。まだ比較的会話はできる状態だ。氷璃が定期的に絵都子と会うのは親しさはもちろん、能力の暴走の様子見も兼ねていた。
「ダメでしょう?勝手に桜を狂わせたら」
「どうして?氷璃のためなのに……」
絵都子の周囲の妖力が強まる。エレが驚いて、弾かれたようにこちらへ逃げて来た。
「エレ、絵都子の妖力を発散させないといけないみたい。ちょっと離れてて」
氷璃は腰のベルトから剣を抜き、黄金の刃を絵都子に向けた。
「やあ、ずきん」
「うげっ、リア充の片割れ……!」
「酷い呼び様だな」
澄は呆れ気味に笑う。白い草原に寝転がっていた赤ずきんは飛び起きてこちらを睨み、近づいたら噛みつかんとばかりに唸っている。
「様子を見に来ただけだよ。最近どうだい?」
「……別に。あんたに話すことはない」
「平和そうで何より」
ずきんはかつて澄と同じ御伽の里に住んでいた。その時から誰にも心を開かず、すぐに一人で出て行ってしまったが。ずきんがホワイトグラスにいると知り、こうしてたまに様子を見に来ていた。澄は仲間として接しているつもりだが、相変わらずずきんの態度は厳しい。
澄はずきんの隣に座り、少し留まるぞと示す。ずきんはむすっとした顔でそっぽを向く。
「こんな何もない草原でいつも何してるんだい?」
「何もしてない」
「つまらなくないかい?」
「つまらん」
その後もぶっきらぼうな短い返事が返ってくるのみだった。早く帰れと隠す気もない声色。毎度のことなので澄は不快に思うことはない。ただ、この子がなぜ人を拒絶するのかが心配だった。一部妖怪とはつるんでいるようだが。
「君は何を恐れているんだい?」
「はぁ?何の話?」
「この世界は元の世界と違う。好きなようにやればいいのに」
「お、お前……!」
ずきんが振り返って牙を剥く。ずきんの過去を知らない澄だが、彼女が過去に囚われていることは何となく察していた。狼の姿をした赤ずきん。大切の人を食べたとかそのあたりだろうと予想している。
「君程度の実力なら、逆に捕食される側だろうに」
ずきんは言い返そうとしたが、口をつぐんで冷静になろうと頭を振る。
「……分かってる。この世界は化け物しかいないし、私も化け物だって。でも、好きにやってまた制御が効かなくなって、さらに汚れた化け物になりたくないんだよ」
ずきんは被っていたフードを取り、スカートの中に隠していた尾も露わにする。
「見ろよ、もう人間には戻れないんだよ。これ以上醜くなったら、獣同然になっちゃう」
「幻夢界では珍しくない姿だと思うけど」
「そういうことじゃないんだよ、バカ男」
「女だ」
ずきんは長いため息を吐いて、もういいと背を向けて歩き出す。そして振り返って澄に警告した。
「お前このこと他にバラしたらただじゃおかないからな!ズタズタにしてやるからな!!あとこれ付け耳と付け尻尾だからな!!!」
「はいはい、誰にも言わないよ。でも、星の力を持つ僕を、狼擬きの君がズタズタにできるとは思わないけどねぇ」
「うるせー!バーーーカ!!!」
ずきんはべーっと舌を出すと、遠くへ走り去った。肩をすくめて見送る澄。
ずきんの心の傷が癒えるのにはまだ時間がかかりそうだが、森の妖怪達から好意的な話も聞いたこともある。彼女らと接するうちに、ずきんの居場所もできればいいなと思った。
澄は立ち上がり、また来るよと一人呟いて御伽の里へ戻っていくのであった。