共鳴山1

「これでとどめ!」

 夏の真っ青な空に黒い点。地上に向かってそれは猛スピードで落ちてくる。空気を切り裂く槍の先が、一匹の鬼型魔物を狙い定める。
 魔物は反撃しようと拳を握り締め、右腕を後ろに引く。左手で槍を掴み、右手で相手を殴り飛ばす算段だった。
 しかし、槍の持ち主は魔物の予備動作の途中で、瞬間移動でもしたかのように目の前まで迫っていた。落下のスピードを維持したまま迫った槍は、魔物の抵抗も間に合わずに心臓部分を貫く。槍は背部にまで貫通し、相殺されない勢いで魔物は地面に縫い付けられるかのように倒れる。そして傷口から黒い血の海を作りながら息絶えた。

「あぁ、天狗様、ありがとうございます」

 老婆が手を合わせて跪く。後ろにいる数人の大人も頭を下げたり、謝礼の言葉を述べている。
 魔物から槍を引き抜き、血を振り払う黒髪の天狗の少女は老婆達の方を向き、にかっと無邪気に笑って見せる。短めの髪をハーフアップにし、上下と袖部分が分かれた着物の上から、紫の前掛けのような服、腰下は黒いミニスカート。背の立派な黒い翼が彼女の種族を主張している。

「これで人攫いもなくなるはずです。また何かあれば我々を頼ってくださいね」

 少女は快活にそう言うと黒い翼を広げ、南にそびえる巨大な山、共鳴山(きょうめいざん)へ飛び去った。老婆達は礼を渡そうと手を伸ばすが既に遅く、少女が見えなくなるまで、感謝を唱え続けていた。



 少女は山の麓に着くと翼をたたんで、待機していた仲間と合流する。
 狩衣のような着物の天狗が五人。暇を持て余していたのか、二人は楽しそうに会話を。もう二人は地面に座り込み、その辺で拾った石で五目並べをしている。残りの一人は小柄な少女で双眼鏡を手に持っており、到着した少女の元へ真っ先に駆け寄ってきた。

「琥杜歌(こずか)様、討伐お見事でした」
「うん、余裕だったよ」
「その、報酬を受け取っていないように見えましたが、よろしいのでしょうか?」
「いいのいいの。あの人たちは魔物に仲間の命を取られてたんだから。さらに私たちが物まで取り上げたら可哀想でしょ? 信仰してくれれば問題ないって」

 琥杜歌の返答に、双眼鏡を持った少女は心配そうな表情をする。

「また鞍馬様に叱られますよ?」
「母さんの話禁止ー!」

 琥杜歌はぷいと少女から顔を背け、楽しそうにしている四人のところへ行く。琥杜歌の到着に気づいた四人は、慌てて目を白黒させる。

「私もまぜてよ」
「すすすす、すみません! えっと、あの、お疲れ様です!!」

 琥杜歌より大柄な男四人が背筋を正して並び、裏返った声で各々サボっていたことを詫びる。

「別に怒ってないのに」

 琥杜歌は苦笑いして四人を宥める。

「はーい、もう任務は終わったから解散ー。ご苦労ご苦労」

 琥杜歌が軽い調子で男たちに言うと、四人はどうすると顔を見合わせて、上司が言うならいいのだろうとそれぞれの行く先に散って行く。双眼鏡を持った少女が慌てて男たちを止めようとしたが、琥杜歌がそれを制する。

「ハナも帰っていいよ」
「帰りません! 討伐任務を待機させて、山での護衛までなくされたら、私の仕事がなくなってしまうじゃないですか!」
「楽でいいじゃん」
「よくありません!!」

 小柄な少女ハナは、もーっ! っと腰に手を当てて怒って見せる。

「琥杜歌様はご自身がどのような存在か、ちゃんと分かっておられますか? 大天狗鞍馬様の分体、共鳴山の未来を導くお方なのですよ? 危険な魔物を倒す任務に私たちを連れて行かなかったり、護衛なしでその辺をうろうろするなんてどうかしてます! 鞍馬様にバレたらただじゃ済まないですよ!」

 ハナの言うことはもっともであるが、琥杜歌は悪びれる様子もなく溜息を吐く。

「私たち五人でぞろぞろと町に行ったら、大事かとみんなを驚かせちゃうでしょ? そしたら魔物をおびき寄せるのも難しくなるから、私一人の方がやりやすかったの。それに山でうろうろするなって、天狗しかいないんだから何も危なくないよ」
「ですが――」
「あーーーもう帰るよ!」

 琥杜歌は説教はこりごりだとハナの言葉を遮り、鞍馬の屋敷へと向かう。ハナが後を追って駆け出し、琥杜歌の隣に並ぶ。

 共鳴山。山の神である狼神が治めていた土地だが、現在は天狗が支配している。大天狗鞍馬が狼神と融合したことにより莫大な力を得て、周辺地域から天狗は神のように信仰されるようになった。中でも夜燈(よあかり)の町という住人の多い地域から、特に強い信仰を得ている。天狗は信仰を貰う代わりに、魔物退治や治安維持に貢献するという関係を町と築いている。

 琥杜歌はその大天狗の分体、分身として大天狗の力から生まれた存在だ。大天狗の手伝いや後継として生み出されたが、琥杜歌は絶賛反抗期の最中で政治には無関心だった。命を吹き込まれて百年ほどで、まだまだ若い天狗の一人である。

 ハナと共に山頂付近にある屋敷にやってくる。見張りの天狗たちが頭を上げて屋敷への道を開ける。

「もうこの辺でいいよ」

 琥杜歌は門をくぐる前にハナに言う。ハナもここまで来れば納得したようで、短く返事をして頭を下げて下がる。

「ありがとー! またねー!」

 帰っていくハナに琥杜歌が手を振る。見張りの天狗たちが琥杜歌に注目し、その視線の先にいるハナへと移っていく。ハナはどうしようかと躊躇ったのちに、ぺこりと頭を下げて逃げるように去って行った。



 屋敷の中に入り、嫌々ながらも大天狗の部屋へ向かう。部下と共に討伐しろと言われていた任務を、部下を待機させて単独でこなしたわけだが、何と言い訳しよう。そんなことを考えながら木造の廊下を進む。

 金色の模様が描かれた豪華な襖。部屋の前には刀を携えた護衛が二人。大天狗の部屋、牙の間についた琥杜歌は、何も言わずとも護衛に頭を下げられ、部屋へ入る許可をもらう。
 琥杜歌は溜息をつくと、目を閉じて覚悟を決める。恐れているわけではないが気乗りがしない。

 声をかけずに襖を開けて中に入る。二十畳ほどの和室で、豪華な屏風や刀など、権力を示しそうなものが飾られた部屋。高座に大天狗鞍馬が胡座をかいてこちらを見ており、話し相手になっていた側近の鴉天狗も驚いて振り返っている。

「ただいま戻りましたよっと」

 琥杜歌は面倒臭そうに鞍馬の前まで行くと、鴉天狗が譲ってくれた座布団にどかっと座る。

「声くらいかけんか」

 長い白髪の長身女性、天狼鞍馬(てんろう くらま)か呆れた目をして琥杜歌に言う。頭上にピンと立った狼の耳、背には黒い翼、腰下からは灰色がかったふさふさした尻尾。服装は黒に金の模様が入った山伏装束を身につけている。
 琥杜歌は鞍馬の文句を無視して、簡潔に町での出来事を報告する。

「夜燈の町での人攫い事件は、犯人の鬼型魔物を討伐し、無事解決しました。共鳴山への信仰はより大きなものになるでしょう」
「よくやった」

 鞍馬は琥杜歌の次の言葉を待つが、琥杜歌は話は終わりだと立ちあがろうとする。

「琥杜歌、他には?」
「以上ですけど」

 とぼける琥杜歌に、鞍馬は青い瞳をじろりと細める。

「報酬は?」
「……もらってません」
「またか」

 溜め息をつく鞍馬と、顔を背けて話したくないとアピールする琥杜歌。言葉を渋る琥杜歌に鞍馬は顔をしかめ、さらに問い詰める。

「討伐も単独で行っただろう?」

 鞍馬の追究に、琥杜歌は素直に頷く。そして鞍馬の側近をジロリと見る。証柴恵(あかしば めぐみ)、長い茶髪のポニーテールに深緑の着物、山全体を見る能力を持っている。仲間を待機させて一人で町に行ったところを、彼女に監視されていたのだろう。
 知っていたのならわざわざ聞かなくてもいいじゃないかと、内心琥杜歌は苛立つ。

「琥杜歌。善意だけでは周辺との関係は長続きしない。一時的な信仰は得られても、目に見えない報酬だけでは、いずれ悪意に利用され――」

 鞍馬の説教が始まると、琥杜歌はキッと鞍馬を睨んで立ち上がる。同じ深い青色の視線が真っ直ぐにぶつかる。

「報酬、報酬って、母さんは町から巻き上げ過ぎなんだって! 一定期間ごとに食べ物やら妖鉱石やらを町から徴収してるくせに、討伐代、護衛代、関わるごとに報酬を要求してる。
 ここで座ってるだけだから、町の不満なんて聞こえないんでしょう? 母さんのやり方でこそ、この先長続きしないよ!」
「琥杜歌様! 何てことを――」

 恵が驚いた顔をして琥杜歌を咎めようとするが、鞍馬がよせと止める。鞍馬は少し不機嫌になったのか狼の耳を寝かせ、先ほどより鋭い目つきで琥杜歌を見る。

「未熟者め。私の命令に逆らってばかりで、碌に町との関係も知らないくせに大口を叩くな」
「じゃあ何も言わないよ。私は勝手にさせてもらうから」

 琥杜歌はくるりと背を向け、乱暴に襖を開けて部屋を出る。力の限りに襖を閉めると、外にいた護衛二人が何事かと顔を見合わせていた。

 牙の間では鞍馬と恵が同時にため息をついた。

「鞍馬様、どうしますか?」
「……放っておけ。全く、あいつは優しすぎる。この汚い世界では、善意など通用しないのだよ」

 俯きがちに呟いた鞍馬の顔に、灯篭の明かりが暗い影を落とした。