鈴葉は風沙梨にぶつかった人物が走り去った方を睨む。既に通りは行き交う人で賑わっており、視界に怪しいものは全く映らなかった。
「師匠、行ってください!」
「オッケー!」
鈴葉は翼を広げる。しかしすぐに風沙梨が口を挟む。
「あっ、空はダメですよ!ハニビータウンは金蜂以外の飛行は禁じられています!」
「地上からじゃ無理だよ!風沙梨のお金持ち逃げされちゃう!」
「うっ、で、でも……」
「事情を話せばきっと大丈夫だって!」
そう言って鈴葉は上空へ飛び立った。何事かと人々が空を見上げた。風沙梨は仕方ないかと肩をすくめ、地上の人を掻き分けて犯人の逃げた方向へ向かう。
道なりに空を少し飛ぶと、乱暴に道を走り抜ける人物が見つかった。あれだろう。図体の良い獣人の男だ。翼を羽ばたかせ、加速して距離を詰める。
「そこのひったくり!観念して盗った者返して!」
高度を下げて男のすぐ後ろについて並走する。男は驚いて振り返り、チッと舌打ちをする。そして妖力を球状にした塊を複数生成し、鈴葉に向かって放つ。もちろん、街での戦闘行為も禁止事項だ。
反撃を予測していた鈴葉はひらりと妖弾をかわし、さらに走る速度を上げた男を追跡する。男は住宅区域に向かっているようだ。露店の通りより建物が密集していて、細く複雑な路地が多い場所。そこで鈴葉を撒く算段だろう。
早く捕えたいが、継続して放たれる攻撃と、戦闘禁止という街の掟に阻まれ、男を止めることができない。道は細くなり始め、人もまばらになってきている。もうすぐで相手の思惑通りになってしまう。
「どうすれば……」
もう攻撃してしまおうかと、背部に手を回し、帯に挿している紅葉型の扇に触れる。土地勘さえあれば地上から追うことも可能なのだが……。
「土地勘!」
鈴葉はにやりとほくそ笑むと、高度を上げて、街を広く見渡せる高さまで飛ぶ。男を見失わない程度に先を行って、住宅街の路地に意識を向ける。行き止まりになっている場所に誘い込む作戦だ。複雑な道は迷路のようで、網目のようにあちこちへ巡っている。
「あった!」
ゴミ捨て場だろう。高い塀が行手を防いでいる場所がある。方向とある程度の位置を覚えて、次に男の周辺に集中する。もう分かれ道の多い住宅区域に突入していて、男がどの道へ逃げるか予測が難しい。今のところ、行き止まりと同じ方向に進んでくれている。
鈴葉は男に妖力を送り込む。幻術だ。妖力の干渉があれば気づく者もいるが、男は焦っているせいか気付いた様子がない。そうであれば、このまま作戦を実行できる。
細い通り道を、幻術で封鎖していく。壁を作ったり、入り込めない狭さに見せたり。鈴葉の幻術は実際に触れることはできないため、本当の行き止まりは作れない。さらに、実際に鈴葉が把握した道しか細工を施せず、リアルタイムに男の進む道が変わるため、頭をフル回転させる必要があった。細工が効かない大きな道は、鈴葉が先回りして行手を防ぐ。
思い通りに行けば、予想外の抜け道に逃げられるなど、狭い道での攻防が続く。
「はぁ、も、もうすぐ……!」
慣れない幻術を何度も使い、素早く飛び回っているせいで、鈴葉の疲労も溜まってきた。このまま真っ直ぐ走らせ、最後に男を左に曲がらせれば行き止まりだ。力を振り絞って先回りし、男が真っ直ぐ進む道を防ぐ。地上に降り、扇を構える。
男はぎょっとし、左に曲る――ことはなく、そのまま鈴葉の方へ突っ込んできた。
「えぇ!?ちょっと!」
話が違う!と内心叫び、慌てて後ろへ走り出す。男は咆哮を上げ、獲物を追う形相で鈴葉の後を追う。なぜ自分が追われる立場になっているのだろう。空へ逃げようと上を見上げると、タイミング悪く屋根が重なる路地で、走ることを余儀なくされた。
空中での素早さには自信があるが、脚力はそれほどでもない。しかも履き物は歯の高い下駄だ。低空飛行をしようにも、路地が狭く、配管や雨除けも邪魔して、翼を広げられない。そんな鈴葉が、先程からスピードを落とさずに走り続けている獣人から逃げ切れる訳がない。男との距離は確実に短くなっていく。
このままでは捕まる。やむを得ず振り向き、妖力を込めて扇を振るう。扇から放たれた暴風が渦巻き、周囲の塵やゴミを巻き込んで成長する。規模は小さいが、男に向かって竜巻が反撃を開始する。
再び形勢は逆転し、男はきた道を引き返す。鈴葉は竜巻が衰えないように能力で風を操り、さらに竜巻の速度も上げる。
男は鈴葉が竜巻の進路を操っていると知らず、曲がれば逃れられると思い、ようやく行き止まりの路地へ入ってくれた。竜巻を消滅させ、すかさず後を追って、袋小路に男を追い詰めた。
「さあ、奪ったお金、返してもらうよ」
「ふん、この程度で勝ち誇りやがって」
男はベルトから短剣を取り出す。そして鈴葉に飛びかかろうとしたが、ちらりと横を見て、にやりと不気味な笑みを浮かべた。
男はさっと横に跳び、ゴミの陰から何かを引っ掴んだ。それを自分の方に寄せ、腕を回す。
「おい天狗、動くとどうなるか、分かるな?」
男が捕まえたのは小さな少女だ。少女の首元に、ギラリと光る短剣を近づける。
「卑怯な……」
少女を助けないと。少女を観察する。桃色のショートヘア、この時期にしては薄手の白いワンピース。状況をわかっていないのか、目は眠そうで、ぽかんと口を開けている。
「……」
見たことある。鈴葉は構えていた扇を下ろし、緊張を解いてため息をつく。呆れたような、安心したような。鈴葉も状況がよく分からなくなった。
男に捕まっている少女は、幻夢界エスシ地方の守護神、ネルだった。
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匿名k (月曜日, 18 12月 2023 03:36)
鈴葉がめちゃめちゃ…知力戦してる…
すごい…読んでて笑ったのがやっぱりネル様だわ。ゴミ捨て場にいたとかw
神様だよね?!なにしとん!ってなりました。
次回がまた楽しみです。
幻夢界観測所 (月曜日, 18 12月 2023 22:21)
匿名kさん、コメントありがとうございます!
鈴葉は漫画の方がおバカし過ぎてるだけで、きっとこっちが本来の姿なんです、きっと…
ネルは自由な神()だなぁ、側から見たら行き場のない子供です…