ハニビータウン

 ハニビータウン。聖都から貿易街道を通り東に行くと見えてくる街。ハチミツを使った料理やスイーツが有名で、グルメなスポットとして人気な場所だ。冬にはハニーカーニバルという大きなグルメイベントが開かれ、各地から料理人や、食を求める者が集まってくる。

 まだハニーカーニバルの時期ではないが、貿易街道は商人や道行く人々で賑わっていた。


「美味しそうなものがいっぱいだね~!」


 青い着物を着た金髪の少女、獣天狗の紅河鈴葉が辺りを見回して楽しそうにはしゃぐ。道の両端には、旅人や観光客向けに、ずらりと露店が並んでいる。屋台の料理の匂いが、鈴葉の鼻口をくすぐる。


「今日はダメですよ。せっかくハニビータウンに向かうんですから。それまでにお腹いっぱいになっては、何しにきたかわかりませんからね」


 鈴葉に釘を刺すのは、隣にいる背の低い黒髪の少女、木霊の美来風沙梨だ。幼い見た目ながらしっかりしていて、まるで鈴葉の保護者のようだった。


「大丈夫、大丈夫」


 鈴葉は安心してと風沙梨に向かって笑う。本当に分かっているのかと、呆れた目を向けた風沙梨だったが、鈴葉の次の言葉で頭を抱えた。


「今日はいくらでも食べれる気がするから!」

「師匠……そういう問題じゃなくて」


 この獣天狗は食欲の化身だ。鈴葉と出会ってしばらくになるが、彼女が満腹になった姿を風沙梨は見たことがない。その身体に収まるとは思えない量を、いとも容易く平らげる。その後ですらけろっとした顔でおかわりを頼む程だ。


「風沙梨、みてみて」


 鈴葉は足を止め、とある屋台を凝視していた。風沙梨はなんだと振り返る。どうやら飴を取り扱っているようだ。果物を飴で固めたものや、動物を模ったような綺麗な飴が、串に刺して並べられている。

 店主は鈴葉たちが見ていると気づき、手招きをする。そして二本の棒を取り出す。先端には水飴がくっついている。

 興味深げに鈴葉が近づき、風沙梨も後に続く。店主は器用に水飴を操り、何か造形物を作っている。飴を伸ばし、うねらせ、尖らせ……どんどんとそれは出来上がっていく。


「わぁ!狐だ!」

「特別にお嬢さんにプレゼントだよ。あんなキラキラした目で見られちゃ、サービスしたくなっちゃうよ」


 店主は狐の形をした飴を鈴葉に渡す。先程まで自在に形を変えていた飴が、もう固まっている。


「ありがとう!」


 鈴葉は透明な飴を持ち上げ、じっくりと見まわした。空の色を透かし、太陽光で煌めく飴は宝石のようだった。鈴葉はすごいとはしゃぎながら楽しそうにしている。


「すみません。これで足りますか?」


 風沙梨は小さな妖鉱石をいくつか店主に差し出す。店主は少し驚き、いいよと笑いながら受け取りを拒んだ。


「サービスって言っただろ、お代はいらないよ」

「でも……」

「ほら、集客効果もあったみたいだし」


 風沙梨はどういうことかと首を傾げたが、隣の鈴葉を見てぎょっとした。はしゃいでいた鈴葉に好奇の視線が集まっており、その中でも近くにいた人に、鈴葉が飴を見せつけて自慢している。

 これはまずい、早くこの場を去らないと。


「いえ!これは受け取ってください!ありがとうございました!!」


 風沙梨は無理やり妖鉱石を店主に押し付ける。店主も仕方なく受け取り、だったらと一枚のチラシを風沙梨に渡す。


「ハニビータウンでオススメの店さ。観光に行くならのぞいてごらん。食べなきゃ損する隠れ名店だよ」


 風沙梨は礼を言い、鈴葉の腕を引いて逃げるように進んだ。

 あのままではいつものアレが始まってしまう。一つ食べ物を持たされると、次から次へとなぜか食べ物を持たされる鈴葉。みんな鈴葉に優しく食べ物をくれているだけなのだが、真面目な風沙梨はタダではもらえないと、店一つ一つに代金を払う羽目になる。

 今回はハニビータウンで食べ歩きが目的なのだから、ここで所持金を尽かす訳には行かなかった。


 先程の店が見えなくなった辺りで、風沙梨は安堵のため息を吐く。隣の鈴葉はというと、もらった飴の狐の顔部分を咥えて堪能している。

 可愛くて食べれない、とは無縁そうだった。それもそうか、食欲の化け物なのだから、と風沙梨はもう一度ため息を吐いた。


 鈴葉がちょうど飴を食べ終えた頃、貿易街道も終わりを迎え、目的のハニビータウンが見えてきた。赤煉瓦の塀に囲まれて、街の入り口には金蜂の兵士がおり、通行費を徴収している。


「聖都といい、ハニビータウンといい、出費が痛いですねぇ」


 風沙梨がげんなりしながら妖鉱石の入った袋を準備する。

 通貨としてよく使われる妖鉱石。エネルギーが結晶化したもので、自然発生や自身の力から生み出すことができる。ただし、自身で妖鉱石を生成するには、相当な妖力を消費する。力の弱い風沙梨では、一日動けなくなるほどの力を使っても、小さい妖鉱石一つ作るのが限界だ。風沙梨の袋の中身は、ほとんどが自然発生した妖鉱石を拾い集めたものだった。

 貿易街道を通って来た全員が入り口の列に並んでいく。列は三つに分かれていて、観光客、商人、住人とで通行料が違うようだ。二人は観光客の列に並び、先程もらったチラシを眺めながら順番を待つ。

「喫茶店ですかね?」

「ハチミツの?」

 『ハチミツタイム』と店名が書かれたチラシ。コーヒーやケーキ、軽食などの絵が描かれている。全ての料理にハチミツを使っているだとか。

「ずっと口が甘くなりそうですね……」

「ハチミツのハンバーガー、気になる……」

 メニューを見ながら想像に花咲かせていると、すぐに順番がまわって来た。兵士も慣れているようで、列の流れがスムーズだ。

「二人ですね。では、小妖鉱石十個です。属性はどれでも大丈夫です」

「十個……」

 前来た時は一人三個だったのに、と風沙梨が顔をしかめる。兵士の少女は妖鉱石を入れる器を差し出しながら、風沙梨の心を読んだかのように苦笑いした。

「実は今、荒くれ者が街周辺をうろついていまして。そいつらが去るまでは通行料を上げろと、上から命令が出ているのです」

「そうなんですね。ちょっとタイミングが悪かったみたいですね……」

「申し訳ないです。――はい、十個確かに。では、ハニビータウンを存分にお楽しみください」

 風沙梨が妖鉱石を渡し、兵士が道を開ける。鈴葉も軽く会釈して兵士の前を通り過ぎた。

「大きい街はしっかりしてるねー。野老屋村と大違いだ」

「住人の数が違いますからね。それに、この辺りは不毛の荒野もありますし、浮浪者が多いみたいで、聖都もハニビータウンも警備がしっかりしているんですよ」

 ふーんと相槌を打つ鈴葉。風沙梨は野老屋の森からほとんど出ないのに、博識だなあと感心する。

「しっかりしてるけど、ちょっと堅苦しくて緊張するよね。野老屋村がのんびりしたところで良かった~」

「その分、美味しいお店がたくさんありますけどね」

「うぐぐっ、それは羨ましい……!で、でも、野老屋村のおばちゃんが作ってくれるお菓子も美味しいもん!」

 村のグルメポイントを挙げようと唸り始めた鈴葉。風沙梨はどちらの場所も良い所があると言ってなだめ、さてと足を止める。現在は街の入り口から少し歩き、広場のような開けた場所にいる。そこからいくつもの分かれ道があり、屋台やショップ、住宅区域など、それぞれに続いている。

「どこに行きますか?このチラシの場所でも、他に行きたいところでもあれば」

 ハニビータウンに来た目的を思い出し、鈴葉が目を輝かせる。ふふふと腰に手を当てて笑い、完璧と言えるほど堂々としたドヤ顔で言い放つ。

「もちろん食べ歩き!全部食べ尽くしてから休憩しにチラシのお店に行こう!」

「そんなにお金ありません」

「大丈夫!」

「大丈夫じゃないです」

 行ってから考える!と鈴葉は露店が多く並ぶ通りに進んで行った。はぐれないように慌てて風沙梨が後を追う。

 それからは鈴葉のターンだった。店主に話しかけては会話を弾ませ、食べ物をタダでもらったり、割引やおまけなど付けてもらう。もちろん風沙梨は代金を払おうとするのだが、店が忙しかったり、別の客が来たりで話を流された。風沙梨の想定より多くの食べ物やら土産用の品が鈴葉の手持ちに増えていく。

「師匠、ちょっと待って……」

「ん?風沙梨も欲しいのあった?」

 自覚なしに普通に楽しんでいる鈴葉が、口をもごもごさせながら振り返る。店主に詫び、鈴葉を追いかけで風沙梨は息を切らしている。

「もうちょっと計画的に動いてくださいといつも言ってるじゃないですか」

「だってー、せっかくだからいっぱい見ていきたいじゃん。ほら、これ美味しいよ?」

「話を逸らさないでくだ――もごっ」

 一口サイズの焼き菓子を風沙梨の口に突っ込む。丸いふわふわの生地の中に、ハチミツと生クリームが入っている。何だかんだ、風沙梨も美味しいと耳をぴくぴくさせて黙って味わっている。

「ね!美味しいでしょ?ほら、次行こうーーー!」

「んもー、せめてもう少しゆっくり歩いてください」

 はいはいと返事をし、歩き出した鈴葉の隣を、猛スピードで何かが通り過ぎた。

「きゃっ」

 何かにぶつかられ、風沙梨が尻もちをつく。袋を落とし、いくつか中身が石畳の道に転がり落ちた。

「風沙梨!大丈夫?」

「はい、危ないですね……」




 鈴葉は風沙梨に駆け寄って怪我がないか確かめる。外傷はないようだ。風沙梨がむすっとして落ちた土産の品を袋に戻していく。何事かと驚いていた通行人も風沙梨と同様に、迷惑な何かに文句を垂らして、それぞれの目的に戻っていく。

 風沙梨が荷物をまとめ、立ち上がる。そして行きましょうかと言いかけて、何かに気付いて身を強張らせた。

「どうしたの?どこか痛い?」

「い、いえ……その」

 風沙梨の顔が青ざめ、すぐに怒りへと変わる。

「どうしましょう、やられました」

 風沙梨がずっと握りしめていた妖鉱石の入った袋がどこにもなかった。

 鈴葉は風沙梨にぶつかった人物が走り去った方を睨む。既に通りは行き交う人で賑わっており、視界に怪しいものは全く映らなかった。


「師匠、行ってください!」

「オッケー!」


 鈴葉は翼を広げる。しかしすぐに風沙梨が口を挟む。


「あっ、空はダメですよ!ハニビータウンは金蜂以外の飛行は禁じられています!」

「地上からじゃ無理だよ!風沙梨のお金持ち逃げされちゃう!」

「うっ、で、でも……」

「事情を話せばきっと大丈夫だって!」


 そう言って鈴葉は上空へ飛び立った。何事かと人々が空を見上げた。風沙梨は仕方ないかと肩をすくめ、地上の人を掻き分けて犯人の逃げた方向へ向かう。

 道なりに空を少し飛ぶと、乱暴に道を走り抜ける人物が見つかった。あれだろう。図体の良い獣人の男だ。翼を羽ばたかせ、加速して距離を詰める。


「そこのひったくり!観念して盗った者返して!」


 高度を下げて男のすぐ後ろについて並走する。男は驚いて振り返り、チッと舌打ちをする。そして妖力を球状にした塊を複数生成し、鈴葉に向かって放つ。もちろん、街での戦闘行為も禁止事項だ。

 反撃を予測していた鈴葉はひらりと妖弾をかわし、さらに走る速度を上げた男を追跡する。男は住宅区域に向かっているようだ。露店の通りより建物が密集していて、細く複雑な路地が多い場所。そこで鈴葉を撒く算段だろう。

 早く捕えたいが、継続して放たれる攻撃と、戦闘禁止という街の掟に阻まれ、男を止めることができない。道は細くなり始め、人もまばらになってきている。もうすぐで相手の思惑通りになってしまう。


「どうすれば……」


 もう攻撃してしまおうかと、背部に手を回し、帯に挿している紅葉型の扇に触れる。土地勘さえあれば地上から追うことも可能なのだが……。


「土地勘!」


 鈴葉はにやりとほくそ笑むと、高度を上げて、街を広く見渡せる高さまで飛ぶ。男を見失わない程度に先を行って、住宅街の路地に意識を向ける。行き止まりになっている場所に誘い込む作戦だ。複雑な道は迷路のようで、網目のようにあちこちへ巡っている。


「あった!」


 ゴミ捨て場だろう。高い塀が行手を防いでいる場所がある。方向とある程度の位置を覚えて、次に男の周辺に集中する。もう分かれ道の多い住宅区域に突入していて、男がどの道へ逃げるか予測が難しい。今のところ、行き止まりと同じ方向に進んでくれている。

 鈴葉は男に妖力を送り込む。幻術だ。妖力の干渉があれば気づく者もいるが、男は焦っているせいか気付いた様子がない。そうであれば、このまま作戦を実行できる。

 細い通り道を、幻術で封鎖していく。壁を作ったり、入り込めない狭さに見せたり。鈴葉の幻術は実際に触れることはできないため、本当の行き止まりは作れない。さらに、実際に鈴葉が把握した道しか細工を施せず、リアルタイムに男の進む道が変わるため、頭をフル回転させる必要があった。細工が効かない大きな道は、鈴葉が先回りして行手を防ぐ。

 思い通りに行けば、予想外の抜け道に逃げられるなど、狭い道での攻防が続く。


「はぁ、も、もうすぐ……!」


 慣れない幻術を何度も使い、素早く飛び回っているせいで、鈴葉の疲労も溜まってきた。このまま真っ直ぐ走らせ、最後に男を左に曲がらせれば行き止まりだ。力を振り絞って先回りし、男が真っ直ぐ進む道を防ぐ。地上に降り、扇を構える。

 男はぎょっとし、左に曲る――ことはなく、そのまま鈴葉の方へ突っ込んできた。


「えぇ!?ちょっと!」


 話が違う!と内心叫び、慌てて後ろへ走り出す。男は咆哮を上げ、獲物を追う形相で鈴葉の後を追う。なぜ自分が追われる立場になっているのだろう。空へ逃げようと上を見上げると、タイミング悪く屋根が重なる路地で、走ることを余儀なくされた。

 空中での素早さには自信があるが、脚力はそれほどでもない。しかも履き物は歯の高い下駄だ。低空飛行をしようにも、路地が狭く、配管や雨除けも邪魔して、翼を広げられない。そんな鈴葉が、先程からスピードを落とさずに走り続けている獣人から逃げ切れる訳がない。男との距離は確実に短くなっていく。


 このままでは捕まる。やむを得ず振り向き、妖力を込めて扇を振るう。扇から放たれた暴風が渦巻き、周囲の塵やゴミを巻き込んで成長する。規模は小さいが、男に向かって竜巻が反撃を開始する。

 再び形勢は逆転し、男はきた道を引き返す。鈴葉は竜巻が衰えないように能力で風を操り、さらに竜巻の速度も上げる。

 男は鈴葉が竜巻の進路を操っていると知らず、曲がれば逃れられると思い、ようやく行き止まりの路地へ入ってくれた。竜巻を消滅させ、すかさず後を追って、袋小路に男を追い詰めた。


「さあ、奪ったお金、返してもらうよ」

「ふん、この程度で勝ち誇りやがって」


 男はベルトから短剣を取り出す。そして鈴葉に飛びかかろうとしたが、ちらりと横を見て、にやりと不気味な笑みを浮かべた。

 男はさっと横に跳び、ゴミの陰から何かを引っ掴んだ。それを自分の方に寄せ、腕を回す。


「おい天狗、動くとどうなるか、分かるな?」


 男が捕まえたのは小さな少女だ。少女の首元に、ギラリと光る短剣を近づける。


「卑怯な……」


 少女を助けないと。少女を観察する。桃色のショートヘア、この時期にしては薄手の白いワンピース。状況をわかっていないのか、目は眠そうで、ぽかんと口を開けている。


「……」


 見たことある。鈴葉は構えていた扇を下ろし、緊張を解いてため息をつく。呆れたような、安心したような。鈴葉も状況がよく分からなくなった。

 男に捕まっている少女は、幻夢界エスシ地方の守護神、ネルだった。




「ふぁ~……」


 ネルは欠伸をし、突きつけられている短剣を見る。そして男に捕まれた腕にも目をやる。


「おいガキ、動くんじゃねえ。痛い目見たいか?」

「……誰?」


 男の脅しに全く怯まず、ネルは首を回して男の顔を見ようとする。ネルの肝の座った態度に、男はイラついて低く唸る。

 男はネルを掴んでいる方の腕を高く持ち上げ、背の低いネルの足を地上から引きはがす。


「天狗、道を開けろ」


 男の要求に、鈴葉は溜息を吐く。そのまま動かず、バカを見るような目で男を見るだけだった。


「舐めやがって。こっちは冗談言ってるんじゃねぇぞ!」


 男は短剣を振りかぶり、ネルの喉元に突き刺した。突き刺そうとした。短剣はガキンッと音を立て、見えない壁に阻まれて、ネルの喉元で静止している。


「ああん?なんだぁ?」

「……あ、狐の天狗さんだ」


 何が起こったか分からない男と、短剣などに目をくれず、鈴葉の存在に気付くネル。鈴葉がどうもと頭を軽く下げる。ネルは邪魔だと、男に掴まれている腕を振り払う。すると衝撃波が起こり、男はゴミの山に吹っ飛ばされた。鈴葉の元にも膨大なエネルギーの波動が風になって押し寄せる。


「どーも、久しぶり」

「こんにちは……ネルちゃん、さま」

「様じゃなくていい」

「はい」


 ネルは欠伸をしながら伸びをする。男は放ったらかされたままだ。


「ところでネルちゃんは、どうしてゴミ捨て場にいたの?」

「んー……眠くなっちゃって、あそこなら人に見つかりにくそうだったから。寝てた」

「やっぱりこの子よくわかんない」


 二人が話している間に、ゴミ袋に埋もれて呆然としていた男は我に返り、がさがさと起き上がり始めた。鈴葉がそれに気づき、本来の目的を思い出す。


「そうだ、あいつからお金取り返さないと」

「泥棒?」

「そう!泥棒かつ、ネルちゃんを酷い目に遭わせようとした悪いやつ!」


 鈴葉は男の方に数歩進み、扇に妖力を集めて威圧する。男は顔を真っ赤にして牙を剥き出し、怒りをあらわにして、ずしりずしりと鈴葉の方へ歩みを進める。

 ネルがぼんやりと眺める中、両者いつでも攻撃できる体勢になる。二人の距離が縮まり、ぶつかる視線が火花を散らす――。


「はいはーい、そこまで。お前、止まれー」


 声と共に、上空から何者かが飛び降りてきた。二人の間に降り立ち、鈴葉に向かって歩いていた男に三叉槍を向ける。

 少し遅れて、もう一人が男の背後に降りてきた。遅れてきた方の少女が腕組をして、男に語り掛ける。


「お前が窃盗を繰り返していた獣人だな]


 男は二人の少女に挟み撃ちにされた。ハニビータウンを守る金蜂の兵士だ。男はまずいとたじろぐ。前方には武器を持った金蜂、後方の金蜂は武器を持っていないが、行き止まりのゴミ捨て場があるのみ。


「証拠はないだろ!俺は何もしてねぇ!」

「さっき木霊の子から、ひったくりに遭ったと通報があってね。彼女の服に付いた毛を頼りに、甘風の能力でここまで来たんだ」


 甘風と呼ばれた槍を持った少女がうんと頷く。


「私の能力は相手の居場所を探知することができます。この毛はあなたに反応してます」

「そ、そんなの証拠とは言えないだろう!適当なこと言いやがって!」

「そうだな。まあ、飛行する獣天狗と、妖弾を撃つ獣人を追ってここまで来たんだ。窃盗以外でも、お前は違反を起こしている。目撃者大勢と、連日ひったくりに遭っている被害者も呼んで、ゆっくり話し合おうじゃないか。拘置所で」


 腕組した金蜂がそう言い、甘風に合図を出す。甘風はどこからか鎖を取り出すと、それを男の身体に巻き付け始めた。男は抵抗するが、甘風は全く影響ないとばかりに、無言で作業を続ける。あっという間に男は自由を奪われた。

 これで一安心。少し離れたところで見ていた鈴葉はほっと胸を撫でおろした。


「さて、次はそこの獣天狗だな。木霊から事情は聞いているが……」

「え」


 指示を出していた金蜂の視線が鈴葉を捉える。


「街での飛行と攻撃術も使ったな。まあ、被害は出していないが、違反は違反だ」

「うっ……そうするしかなくて……!」


 事情を話せば何とかなると思っていたが、この金蜂は相当真面目そうだ。捕まるのは嫌だが、説得の言葉が出てこない。鈴葉は耳をぺたりと寝かし、情けなくしょげた姿で、話し合っている金蜂達を眺めることしかできなかった。その間、拘束された男は、唯一自由な足で逃走を試みたが、甘風が握った鎖が音を立て、男の身体がますますきつく締められるだけだった。




「ねえ花蜜。この子は捕まえる程ではないかもです」

「……たしかに」


 甘風と花蜜の会話の流れに、鈴葉は期待の眼差しを向ける。もう少し会話が続き、ほどなくして話がまとまったようだ。


「罰金で」


 花蜜は鈴葉にそう言う。お金は全部風沙梨に預けており、そのお金がこの男に盗まれた。盗まれたお金を返してもらわないと、鈴葉は一文無し状態だ。


「あの、この人に盗られたからお金がなくて」

「これですかね」


 甘風が鎖を引き寄せ、男が腰につけていた袋を取り上げた。


「それ!」

「なるほど。獣人さん、これは盗んだものですか?」

「俺のだ!」

「本当ですか?」

「ほんと、う、!?い、いででででで!!!」


 居場所を探知する能力を持つ甘風。袋の持ち主から風沙梨を探知したのだろう。嘘をついている男の肩を掴み、本当のことを言えと無言で圧をかける。男の掴まれた肩の骨がぎしぎしと音を立てる。


「い、痛い!やめろっ!!わかったから!ぬ、盗んだやつだ!」

「では持ち主に返しましょう」


 甘風は鈴葉に歩み寄り、妖鉱石の入った袋を手渡す。礼を言い、中を確認する。恐らく無事だ。


「どれくらい払えばいいの?」

「違反二つ。中妖鉱石二つだ」

「お……ぉ?」


 中妖鉱石。おおよそ手のひらサイズの妖鉱石のことだ。鈴葉や風沙梨では生成できない規模のもので、自然発生も滅多にしないサイズ。小妖鉱石を中妖鉱石と同じ体積分集めても、妖力量は中妖鉱石には及ばない。袋の中身を覗いてみたが、すべて合わせても二つ分の価値にはならなさそうだ。

 どうしようと鈴葉が青ざめていると、袖をぐいと引っ張られた。黙っていたネルが鈴葉を見上げている。


「助けてくれようとしたお礼。任せて」


 ネルは花蜜の前で立ち止まり、両手のひらを受け皿のようにする。そこには何もなく、花蜜は何だと首を傾げる。しかしその表情は、すぐに驚愕へと変わった。

 ネルがほいと軽く力を込めると、手のひらの上に七つの中妖鉱石が浮いて現れる。全ての属性の中妖鉱石を生成したのだ。自身の属性以外の妖鉱石を生成するのは普通あり得ないことで、ネルが簡単にしてみせたことは、常軌を逸する事態だった。


「い、いや、二つで大丈夫だ」

「この街で楽しませてもらった代金ってことで。街の資金とか、被害者の物が戻らなかったときにでも使ってください」


 ネルは押し付けるように妖鉱石を花蜜に受け取らせた。花蜜は困惑し、甘風とどうする?と話し合っている。




「ネルちゃん、ありがとう。でも、あんなに見せちゃって大丈夫なの?」

「何が?」

「いや、あんまり守護神だってバレない方がいいんじゃなかったっけ?」

「あー」


 かつてネルは、エネルギーを自在に操れる守護神というのを利用された。何百年もネル自身のエネルギーを吸われ続け、存在が消滅しかけたことがあった。同じことを繰り返さないように気をつけると言っていたのだが、あまりにも警戒心がない。

 心配する鈴葉を他所に、ネルはまあ大丈夫だと呑気に構えている。


「あまりこういうことしてると、創造神様に怒られるから特別」

「う、うん、本当にありがとね」


 鈴葉とネルが話している間に、金蜂の二人も話がまとまったようだ。


「では、寄付金という形で有り難く頂戴する。ご協力感謝致します」


 花蜜と甘風が頭を下げる。そのまま鈴葉たちの横を通り、男を連行しに行った。


「良い観光を〜」


 路地の曲がり角で、最後に甘風が手を振って消えていった。

 ゴミ捨て場には鈴葉とネルだけになった。盗まれた物も帰ってきて、トラブルもひと段落した。


「はぁ〜疲れた〜〜〜。結構妖力も使ったし、美味しい物食べて休憩したいな――って風沙梨探さなきゃ」


 風沙梨の通報で金蜂の二人が来てくれたようだが、肝心の風沙梨と離れ離れだったのを思い出した。


「ネルちゃんはこれからどうするの?」

「んー、適当?食べたり寝たり」

「道端で寝るのはやめよう……。食べるなら一緒に行こうよ!風沙梨見つけたら、座れるお店でゆっくりしよ」

「うん」


 鈴葉の提案に、迷うことなく首を縦に振るネル。そうと決まればと、鈴葉はネルと共に入り組んだ路地を進む。男を追ってきた道を戻っているつもりだが、空を飛んでいたため、景色が全く違って見える。

 Y字に分かれた道、思った方角と別方向に曲がっていく道、急に現れる行き止まり。空を飛べたら方角もすぐに分かるのだが、次こそタダでは済まないであろう。


「ネルちゃん、迷ったかもしれない」

「どこ行きたいの?」

「街に入ってすぐの広場」

「それならこっち」


 うなだれかけた鈴葉を置いて、ネルはしっかりした足取りで道を進む。行きたい方角と別の方へ向かうネルの後をついて行くと、すぐに大きな通りに出た。


「この道をこっちに進めば着く」

「おお!ネルちゃん詳しいんだね!」

「たまに遊びに来るから」


 気を取り直し、二人は大通りから広場へ向かう。風沙梨なら下手に動かず、わかりやすい場所で待っているだろう、という鈴葉の予想だ。

 この通りは住宅区域のため、最初の商店が並ぶ道より人通りが少なく、ゆったりと歩くことができた。買い物帰りの住人や、子供たちが走り抜けて行く。


「街ってすごいね。いろんなお店があったり、いろんな人が住んでいたり」

「この辺にはここと聖都くらいしか整備された街がないから、珍しいのかもね」

「他の場所には街がいっぱいあるの?」

「エスシ地方にはないけど、聞いたことはある」


 人間界とか、とネルは心の中で呟く。本当に聞いただけで、詳しいことは知らないが。どんな場所だろうと、鈴葉が楽しそうに想像してはしゃいでいる。適当に相槌を打ちながら、元気だなあと感心するネルであった。


 広場は来た時と同様に賑わっていた。街に出入りする人、休憩や待ち合わせをしている観光客、所々に金蜂の兵士が槍を持って立っている。

 鈴葉は風沙梨の姿を探すが、人が多くて簡単に見つかりそうにない。


「ネルちゃん、風沙梨のこと覚えてる?」

「天狗さんといたちっちゃい子?」

「そうそう、もしかしたらこの辺にいるかもしれないんだ。黒髪で薄い桃色の服を着てて、いっぱい荷物持ってると思う」


 二人で座れそうな場所中心に風沙梨を探す。噴水、ベンチ、花壇、広場の隅など。広場の範囲は大まかで、街の出入り口から、大通りまでとかなり広い。ここにいるという確信もなく、先の長さが思いやられる。

 広場の周りをぐるりと一周回ることにした。半周程して、街の出入り口近くまで来た。


「いないね」

「うん」


 この辺りにも風沙梨の姿は見えず、諦めて先へ進もうとする。


『師匠!』

「風沙梨?」


 確かに風沙梨の声が聞こえたが、どこからか全くわからない。立ち止まって辺りをキョロキョロと見回すが、まだ目視できない。そんな鈴葉を見て、ネルは数歩先で何事かと首を傾げている。


『こっちです!街の出入り口の、小さい建物です!』


 声に従って街の出入り口を見ると、確かに門のすぐそばに石造りの建物がある。


「あっちに風沙梨がいるみたい」

「見つけたの?」

「風沙梨が私たちを見つけてくれたみたい。能力で案内されてる」


 音を操る風沙梨の能力。風沙梨の声を特定の人物にだけ届けることが可能で、おそらくそれで語りかけていたのだろう。

 風沙梨がいると思われる建物へ向かう。入り口には金蜂が一人立っており、近づいてくる鈴葉とネルを訝しげに見ている。


「ここは我々の詰所です。何かお困りでしたら警備中の金蜂に」

「その、中に木霊がいませんか?小さい女の子の」

「ああ、あのずっと外を見てた方の。どうぞ」


 やはり風沙梨が中にいるようで、事情を知ると金蜂はあっさり通してくれた。

 中は大した広さはなく、休憩所として椅子やテーブル、小さい台所が設けられているだけだった。何人か金蜂の兵士がゆっくりくつろいでいる。


「師匠!」




 窓際から風沙梨が元気よく声をかける。簡素なテーブルの側のスツールに腰かけ、こちらに手を振っている。小一時間ほど離れていただけだが、久々に会うような感覚がして、鈴葉の心に安堵が広がる。自然と口元に笑顔が浮かぶ。


「良かった〜!合流できなかったらどうしようかと思ったよ」

「師匠ならきっと広場を通ってくれると思いました」

「それにしても、どうしてこんなところにいるの?ここ金蜂の詰所でしょ?」


 てっきり外で待っているものとばかり思っていた。一般人が休ませてくださいと頼んで、ほいほい中に入れてもらえるわけでもないだろう。


「師匠が飛んで行った後、道に立っていた兵士に通報したんですよ。そうしたら二人が師匠の向かった方に飛んで行って、残った方がここに連れてきてくれたんです。ほら、この通り手持ちが多くて……一応事情聴取という形で」


 風沙梨は説明しながら、苦笑いで背後を指差す。そこには買ったり貰ったりしていた土産の袋。鈴葉が持っていた分もあり、風沙梨一人で持つには苦労する量だった。


「ここの窓から広場が見えるので、師匠を見つけたら声をかけようと思って、ここで待機させてもらっていました。ネルさんが一緒にいらしたのには驚きましたが」

「どーも、ネルです」

「こっちもいろいろあってね――」


 鈴葉も風沙梨に別れてからの出来事を話す。獣人の男を追って戦闘になりかけ、ネルが巻き込まれ、風沙梨が事情を話した金蜂、甘風と花蜜が対処してくれたこと。

そして盗まれたものを取り返し、罰金をネルが助けてくれたと。


「そ、そんな高額をネルさんが……!?」


 妖鉱石を取り返したと聞いてほっとしたのも束の間、風沙梨は口をあんぐりと開けて驚愕する。ネルはまぁねと、特に気にした様子もなく軽く頷く。ネルにとっては本当に大したことではないのだろう。感謝と申し訳なさで縮こまっている風沙梨を見て、なぜそんな目で見られるのか分からないといった顔をしている。


「せっかくネルちゃんと会えたんだし、あのお店行こうよ」

「露店でもらったチラシのところですか?ハチミツタイムでしたっけ?」

「そうそう。疲れたし、ネルちゃんとゆっくりしたいねって話してたんだ」


 風沙梨は荷物からチラシを探し出す。食べ歩きを優先して、後に取っておいたカフェ。チラシには簡単な地図も載っている。


「そうですね。ここに長居するのも悪いですし、お店に移動しましょうか」


 風沙梨は立ち上がり、荷物をまとめ始める。鈴葉も自分で持っていた分を持ち、詰所の出口へ向かう。金蜂に礼を言い、喫茶店ハチミツタイムへ向かった。


「ここですね」


 細く複雑な路地を進んだ先に、ハチミツタイムの看板を見つける。表通りから見えず、あまり人通りも多くない場所にひっそりと建っていた。店の前にはメニューの書かれた看板や植木鉢が飾られており、おしゃれな雰囲気になっている。


「知る人ぞ知るって感じだね」

「露店の方も隠れ名店って言ってましたからね」


 風沙梨はもう一度チラシと店の看板を見比べると、入りましょうと言って店のドアを開けた。

 カランカランとドアについているベルが鳴る。店内は暗めの茶色い木材と、白い壁紙の落ち着いた雰囲気だった。広さはそこまでなく、全部で十席あるかないかといった感じだ。店内に他の客はいない。


「いらっしゃいませ。三名様ですね。お好きな席へどうぞ」


 愛想の良い、三角巾を付けた年配の女店主が店の入り口までやってきて、綺麗にお辞儀をする。鈴葉たちも軽く会釈をして、端の四人掛けの席に座る。鈴葉とネルが隣に座り、ネルの向かいに風沙梨が座る。すぐに店主が人数分の水と手拭きを持ってきてくれた。


「さて、何食べる?」


 鈴葉が早速メニューを広げ、ネルも興味深げに覗き込む。飲み物やケーキ、軽食など、チラシに書かれていたメニューもいくつかある。全てにハチミツを使っているのだとか。


「私は紅茶で」

「ネルはパンケーキ」


 一通りメニューを見た風沙梨とネルが、注文をすんなりと決める。


「ぐぬぬ……どれも捨てがたい」


 鈴葉はメニューに食い入り、ページをペラペラめくってどれにしようか迷っている。

 そんな鈴葉に、ネルが金なら心配ないと、無表情ながらドヤっと親指を立てる。


「たんとお食べ」

「ネルさん、甘やかしてはいけません」

「木霊真面目」


 ネルと風沙梨が軽く言い合う間も、鈴葉は真剣にメニューを見つめていた。そしてようやく決めたと顔を上げた。


「ハンバーガーとワッフルと、ソーダと……」


 ちらっと風沙梨の様子を伺う。風沙梨は難しい顔で腕組みしているが、あと一つだけと頷く。


「ジャンボパフェ」

「ダメです」

「ケチ!じゃあ普通のやつ」


 全員分の注文が決まり、風沙梨が店主を呼ぶ。間違うことなく注文を終え、しばしの待ち時間が訪れる。鈴葉はまたメニューを開き、手書きで書かれた文字や絵を眺める。


「ハチミツオムライスってなんだろうね」

「そ、そんなのあるんですか!?気になりますが手は出せないですね……」


 他にもハチミツとは縁のなさそうな料理名がいくつか書かれている。それを鈴葉が面白そうに指差し、風沙梨が顔をしかめる。ネルは調理場で忙しそうに動く店主をぼーっと見つめていた。

 少しして店主が飲み物を運んできた。花の香りがするハチミツ入りの紅茶と、ハチミツとレモンのソーダだ。


「こちらはサービスです。塩気が欲しい時にどうぞ」


 店主はナッツやスナックが入った器をテーブルに置いて、また調理場へ戻って行った。三人は飲み物を飲みながら、他の注文を待つ。


「それでさー、ネルちゃんがゴミ捨て場で寝てたんだよねー」

「なにやってるんですかネルさん」

「いやぁ、それほどでも」


 詰所で話せなかった詳細を風沙梨に話す鈴葉。ネルが登場してからは風沙梨からツッコミしか入らなかったが、改めて無事に落ち合えて良かったと紅茶を啜りながら言っていた。

 あれこれ話しているうちに、順番に料理やスイーツが運ばれて来た。そして最後に鈴葉のパフェがテーブルに届く。


「いただきまーす!」


 鈴葉が元気よく言い、どれから食べようかと目を輝かせる。迷った末に手に取ったのは、ハンバーガーだった。バンズにレタスとチキンカツが挟まっていて、そこにハチミツのソースがかかっている。がぶりと齧り付き、頷きながら味わう。


「カツにハチミツって合うんですか?」

「うん、全然いけるよ!塩気に甘さが良い感じ!今度風沙梨も作ってみてよ」


 鈴葉は気に入ったと、二口、三口と大きく口を開いてバーガーを頬張る。

 隣のネルは自分のパンケーキに夢中なのか、二人には見向きもせずに無言で食べ進めていた。

 その時、店のドアが開き、ベルが新たな来客を知らせる。


「いらっしゃい……って、あんたたちか」


 常連客のようで、店主が親しげに話しかけている。鈴葉は横目にそちらを見る。二人組の金蜂が、店主と話しながら席に着こうとこちらへ歩いてきていた。


「あれ?あの二人」

「ん?あ、私が通報した方々」


 鈴葉の言葉で来客を見た風沙梨も少し驚いた表情をする。店にやって来たのはゴミ捨て場で出会った、甘風と花蜜だった。


「おや、花蜜、見てください。先程出会った方々がいますよ」

「本当だ。まさかここでまた会うとは」


 どうもと鈴葉は手を振る。


「先程はありがとうございました。犯人も捕まったみたいで良かったです」


 風沙梨が立ち上がって一礼する。


「こちらは当然のことをしたまでだ。犯人が捕まったのは、君の通報のおかげだ」


 花蜜も頭を下げて謝礼を述べる。その後ろでは、甘風が店主から直接ケーキを受け取っていた。そして鈴葉たちの隣の席へ座る。少し遅れてコーヒーを持った花蜜もやってくる。


「今は休憩中なの?」


 ハンバーガーを食べ終え、ワッフルに取り掛かり始めた鈴葉が、二人に興味を持つ。


「そうなんです。実はここの店主、私たちの先輩金蜂で、ちょっとお安くしてくれるのでよく来るんですよ〜」

「余計なことまで言うな」


 マイペースに話す甘風に、花蜜がおいっとたしなめる。

 その後も雑談を交えながら、テーブルの上の食べ物を平らげていく。鈴葉と甘風は、ナッツの皿に手を付けることなく、ぺろりと甘いスイーツを口に放り込んでいく。風沙梨と花蜜が飲み物を飲みながらナッツを摘まんで、二人の食欲に呆れ混じりの笑顔を浮かべる。ネルはパンケーキを食べ終え、欠伸をしてリラックスモードだ。

 三十分程して、テーブルの上の食べ物もそろそろなくなりかけた。ハニビータウンのことを聞いたり、野老屋方面の話をしたりと、会話は盛り上がったが、花蜜が時間を確認する。


「おっと、そろそろ休憩時間が終わる」

「え~~~ちょっとくらいさぼってもバレませんよ」

「金蜂女王に言いつける」


 花蜜は立ち上がり、甘風の腕を掴んで無理矢理席を離れさせる。


「では我々はこのへんで失礼するよ。また会えるといいな」

「うう~、働きたくない……お三方、またね~」


 鈴葉たちもまたねと手を振り、引きずられる甘風を苦笑いで見送った。


「私たちもそろそろ行きましょうか」

「そうだね」


 鈴葉は隣で虚空を見つめているネルをつつき、土産の荷物を持って席を立つ。ネルがパンケーキ代の妖鉱石を風沙梨に渡し、風沙梨がまとめて会計を済ます。今回はある程度計算していたようで、青い顔はしていなかった。


「美味しかったです。ありがとうございました」

「またおこしくださいませ~」


 店主に見送られ、三人はハチミツタイムを後にした。話題になるような有名店ではなかったが、静かで料理も美味しく、鈴葉は非常に満足していた。


「そういえば、ネルちゃんはこれからどうするの?」


 誰が言うでもなく広場に戻る道を歩きながら、鈴葉はネルに問う。


「んー、本格的に昼寝しようかな」

「ちゃんと宿行くんだよ!」


 はいはいとネルが頷く。本当に分かっているのかと呆れながらも、ネルの実力なら大丈夫だろうと思う鈴葉だった。


「帰りのことと予算を考えると、私たちもそろそろ帰る頃ですし、広場で解散ですかね」


 風沙梨も少し寂しそうだ。

 広場までの道は長くなく、別れの時はすぐに訪れた。


「じゃあ、これで」


 広場の噴水の前で立ち止まり、ネルは小さく手を振る。


「ネルちゃんまたねー!」

「お元気で」


 鈴葉と風沙梨も手を振る。ネルは背を向け、慣れているのか迷うことなく一本の道へ向かって行った。


「私たちも行きましょうか」

「うん」


 まだ昼過ぎではあるが、早めに街を出ることにする。ハニビータウンから野老屋の森まで、一日で行き来するには現実的ではない距離がある。行きと同様に帰りも聖都で一泊し、翌日野老屋の森へ到着予定だ。ちなみに、ハニビータウンから聖都までも、徒歩だと一日かかるため、飛んで帰る。


「もっといろいろ食べたかったな〜」

「散々露店で食べたじゃないですか」

「まだ行ってない場所もいっぱいあるじゃん」


 ハニビータウンの門を出て、貿易街道を歩きながら、鈴葉が推しそうにちらちら振り返る。


「お土産もたくさん買いましたし、しばらくご飯も抜きなので、これを楽しみましょう」

「そうだね、お土産も楽しみ……ん?ご飯抜き?なんの話?」


 さらっと風沙梨が話した言葉に、鈴葉が固まる。風沙梨は何も変なことは言ってないと、表情を変えずに歩き続ける。


「当然じゃないですか。もう聖都での宿代しか残ってませんよ。妖鉱石が集まるまで、お土産とその辺に生えてる草で我慢してください」

「……」


 別に多少食べなくても死にはしない。しかし、食を楽しみにしている鈴葉にとって、食事抜きは大ダメージであった。


「帰ったら、毎日妖鉱石生成します……」

「助かります。死なない程度にお願いしますね」


 ハニビータウンでの思い出が一際輝かしいものとなったのだった。


登場キャラクター
紅河鈴葉
美来風沙梨
ネル
・甘風
・花蜜