紅葉岳での記憶(2024.05.02)

 紅葉岳山頂の大天狗の屋敷。普通一般の天狗が近づくことなどほとんどないこの場所に、もう何度も足を運んでいる。自分自身何か用があるわけではなく、妹の付き添いとしてだ。

「今日はすっげー美味い料理を食わせてくれるらしいぜ!どんなんだろうな?楽しみー!」
「あはは、よかったね」

 大天狗の屋敷に行く道中、妹の霊羽は屋敷に着いてからのことに思いを馳せていた。上り坂を進む足取りも軽やかで、側から見ても浮かれているのが分かるだろう。

「鈴葉も一緒に来たらいいのに」
「私はいいよ。あんまりお腹空いてないし」

 鈴葉は苦笑いして霊羽の誘いを断る。仕方ないなと霊羽は肩をすくめ、特に気に留めることなく先を歩いていく。



 屋敷に着くと、使用人の天狗に連れられ、いつもの中庭に案内された。大天狗が来るまで、ここで自由にしていいことになっている。
 霊羽と庭を散歩しながら、何気ない会話をして過ごす。程なくして屋敷の主、大天狗がやってきて、霊羽がそちらへ駆けていく。

「大天狗様ー!」
「よく来たな、霊羽。今日は鯛の料理だぞ」

 楽しそうに話す二人を、少し離れたところから眺める鈴葉。
 霊羽は大天狗に気に入られている。ただの獣天狗の子供が、こうして食事に誘われるなどあり得ないことだ。しかしそれは霊羽だけであり、鈴葉が霊羽と共にいると、冷たい視線で睨まれる。最初は鈴葉も一緒に食べに行ったり、遊んでもらったりしていたが、自分は邪魔に思われていると気づいて遠慮するようになった。

「鈴葉ー、本当にいらないのかー?」
「うん、私の分まで食べてきて」

 そう言うと霊羽は大天狗と共に玄関の方へ歩いて行った。寂しげな表情で霊羽の後ろ姿を見送る。
 私は姉だから我慢しなきゃ。鈴葉は心の中で何度もそう呟き、込み上げる不満と嫉妬心を押さえ込む。

「鈴葉ー」

 中庭に面した部屋から呼ぶ声がする。そちらを見ると、紫の着物を着た長い黒髪の少女がいた。大天狗の娘、リンだ。リンは部屋から出てきて縁側に腰を下ろす。

「リン様……」
「おいで、お団子あるわよ」

 リンは言霊でさらに並べられたみたらし団子を召喚する。隣をぽんぽん叩き、座れと促してくる。言われた通り隣に座り、差し出された団子を一つ受け取る。霊羽が大天狗と過ごしている間、いつもリンが気にかけてくれていた。

「うん、この団子美味しいわよ。あなたも食べてみなさい」

 遠慮ぐせでもたもたしていたところをリンに催促され、ようやく団子に口をつける。美味しい。鈴葉にも馴染み深い、普通に屋台で売ってそうな団子だ。
 リンはかなり地位の高い天狗だが、友人のように親しく話しやすい。先程まで暗い気持ちでいたが、リンと話しているうちに霊羽への嫉妬心も薄れていった。

「ごめんね、きっと、なんとかするから」
「ん?今何か言いました?」
「いいえ、気にしないで」

 リンの表情に一瞬影が差したが、すぐににこりと微笑む。

「ほら、いらないなら全部もらっちゃうわよ!」
「い、いりますー!」

鈴葉にも笑顔が戻る。リンがいなければ、きっと心が壊れていただろう。偉大な存在でありつつ友人の彼女に、鈴葉は感謝と最大の信頼を抱いていた。