「ったく、こんな仕事もできねーのか、このクソガキはよぉ!」
「うぐっ」
少女は大男に腕を掴んで地に叩きつけられ、さらに腹へときつい蹴りを入れられる。息ができなくなり、焼けるような腹の痛みで身動きが取れない。喉の奥から血の臭いが込み上げてくる。
「夕方までに全部片づけておけ。できなかったら分かってるな?」
男に前髪を掴み上げられる。口の端から血を流した少女が力なく頷くと、男は汚い物を見るように顔をしかめ、少女の頭を乱暴に手放す。そして少女を侮辱する愚痴を言いながらその場を後にした。
残された少女は、身を縮めて横になったまましばらく動けなかった。真冬というのに薄いボロボロの着物一枚、足は裸足。肩丈の黒い髪は乱れ、全身に痣や血の滲んだ擦り傷ができている。頭には太く曲がった二本のツノ。虚ろな青い瞳には、泥混じりの踏み荒らされた雪が写っていた。
二千年と数百年前、虹の森南部の鬼の里。櫛田、華月、菊花の大鬼御三家によって統率がとられている、大鬼と小鬼の集団。合わせて百程度の集団だが、小鬼でも鬼という種族上、そこそこの力を有しており、虹の森の勢力としては有名だった。
鬼の里では身分制度が厳しく、小鬼にとって大鬼の命令は絶対的なものだった。奴隷のように扱われようと、理不尽な仕打ちをされようと、大鬼に逆らってはいけない。
傷だらけの少女、小姫はもぞもぞと起き上がった。踏み荒らされてシャーベット状になった雪が体温で溶け、小姫の顔や着物が泥で汚れている。今更汚れなど気にしていられないと、よろよろと立ち上がる。
小姫の目の前には切り倒された大木が十本ほど転がっている。薪にするためのもので、先程大鬼の男に切り倒させられたものだ。切り倒した時に折れた枝が男の方へ飛び、腹を立てた男に殴る蹴るの暴力を受けたのだ。
小姫が命令されたのは、この大木の枝を切り落とし、丸太を薪サイズに切り分け、乾燥を請け負っている者へ渡しに行くこと。夕方までと言われたが、現在は昼手前。一人で全てこなすのは不可能だろう。
どうせまた殴られるな、と諦めながらも、斧を持って枝を切り落とす作業に入った。
鬼の里の鬼には、ツノの特徴がある。大鬼のツノは細長く、緩やかな弧を描いた形をしている。小鬼のツノは太く短く、折れ曲がった形状だ。
小姫はそのどちらでもない。大鬼と小鬼のハーフである。
鬼の里でハーフは異端とされており、差別対象である。その扱いは小鬼より酷いもので、いつ殺されてもおかしくない日々だった。
今回の薪の仕事も、小鬼であれば複数人で作業をさせられる内容だ。ストレスの発散に小姫を使いたいがために、わざと無理難題を押し付けたのだろう。
冬の短い日が沈みかけ、森は暗く影を落とす。小姫はこの寒さの中、汗をかきながら原木を薪サイズにかち割って居る最中だった。力仕事で体温は上がっているが、肌表面は寒風で冷え、雪を踏み締めて濡れた足は真っ赤になっている。
薪割りの作業は終わりが見えてきたが、片道十分程歩く指定の場所まで、何往復もして薪を運ぶには時間が足りない。
「おい、終わったか」
先ほどの大鬼が戻ってきた。男はまだ斧を握りしめている小姫と目が合うと、わざとらしくあーあと腕組みしてみせる。
「言われたこともできねぇ無能奴隷め。今すぐボコボコに教育してやりたいところだが、威与様がお呼びだ」
「え……?」
「ッチ。口を開くな穢らわしい。さっさと行け」
大鬼に追い払われ、小姫は威与の元――自宅へ向かう。
鬼の里御三家で一番の勢力、櫛田家。そこの一人娘の櫛田威与は権力者であり、小姫の母親でもあった。そう、大鬼と小鬼のハーフの母親だ。
かつて、母親、大鬼の威与と父親の小鬼は密かに関係を築き、愛し合った末に小姫を産んだ。小姫は父親の家で暮らし、たまに威与が顔を覗かせに来ていた。
小姫が生まれて三年ほどして、ついに威与の行動は両親にばれた。御三家の娘という権力、自身の保身のため、威与は父親を裏切ることにした。無理矢理子を産まされ、脅されて育てていたと。
小鬼の父親が何を言っても、大鬼の威与の言葉は絶対である。父親は大罪を犯したと決めつけられ、そしてケジメとして威与の手によって殺された。小姫もそこで死ぬはずだったが、威与の手足となるべく生かされた。
そして、地獄の日々が始まったのだ。食事も睡眠もろくに与えられず、限界まで働かされ、暴力を振るわれ、好き勝手に使われる毎日。それはすでに百年ほど続いており、小姫はそれが当たり前の認識になっていた。
最近は威与が自分を呼び出すことはあまりなかった。櫛田家に仕える大鬼にこき使われていたのだが、一体何の用だろうか。
コメントをお書きください
ゆがみん (火曜日, 23 1月 2024 16:01)
念願の小姫ちゃん枠
ありがとうございます。
読ませていただきました。
小姫ちゃんにとっては当たり前とかしてしまった日常。
愛し合った両親の破局。
振り回される可哀想な娘。
ぱぱん…理不尽で殺されたんか…。
きついなぁ…
続きが気になるところですね。
楽しみにしてます
今回の挿絵個人的には最高に刺さりました。
毎度お疲れ様です
幻夢界観測所 (水曜日, 24 1月 2024 01:52)
ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
小姫は小鬼より頑丈な、何をしても良い奴隷のようなものなので、きっとこの先も酷い目に遭い続けるのでしょう……。
母親が終わってます。父……。
キャラがボロボロになるのは良い…(歪