異端の鬼2

 小姫が櫛田家の屋敷に着いた頃には、日はほとんど沈んで、先ほどより闇が濃くなっていた。門番に汚物を見るような視線を送られながら、敷地内に踏み入る。玄関には向かわず、中庭を通って縁側の前に立つ。威与の部屋の前だ。正当な理由なく屋敷に上がることも、小姫には許されていない。

「小姫です。ただいま戻りました」

 小姫は淡々とした口調で声をかける。明かりの灯った障子に映った影が立ち上がり、こちらに歩いてくる。落ち着いた赤い着物を着た長身の大鬼、威与が襖を開け、小姫を見下ろす。

「華月のところへ行く。お前も連れて行く。身を清めてこい」
「は、はい」

 小姫は戸惑いながら返事し、足の裏を拭いて急いで風呂場へ向かう。
 華月家もまた鬼の里の御三家。そんな場所に自分を連れて行くとは。
 脱衣所で服を脱ぎ、そういえばと先程蹴られた腹を確認する。うっすらアザが残っているだけで、ほとんど回復していた。この回復力と頑丈さのせいで……と小姫は口を歪めるが、そんなこと考えている場合ではなかった。さっさと風呂場へ駆け込む。
 湯を頭から被って汗やら泥やらを洗い流す。いつもは濡らした布で身体を拭いていたため、この温かさに感動を覚える。温かい服も食事も寝床もない。しばらく湯の温もりに浸っていたかったが、遅くなって威与を怒らせては何をされるか分からない。居座りたがる心を断ち、脱衣所へ戻って行った。


「お待たせしました」

 入浴前よりは少しマシな着物を着た小姫が、早足で威与の前にやって来る。そこには威与以外にも数人櫛田の大鬼がおり、小姫に冷ややかな視線を送っていた。

「お前はこれを持って行け」

 威与に大きなスコップを手渡される。受け取りながら一瞬ぽかんとしたが、どういうことかすぐに理解できた。なんだ、帰り道の雪掻き役か。先程遠くの空に厚い雪雲が見えた。これから降るのだろう。威与たちの着物の裾が汚れないように働けということだ。
 自分が連れていかれる理由も分かり、不安も消えた小姫。支度が整い、玄関を出て華月家へ向かう大鬼達の後を、大人しく着いていく。せっかく温もった体温が、外の冷たさにすぐさま奪われた。

 華月家の屋敷前。威与と門番の鬼が言葉を交わし、櫛田の鬼が屋敷に入っていく。何も言われずとも小姫は外で待機する。門番の鬼は小姫と目を合わせないようにしながら、門を閉めて中に隠れてしまった。
 暇だ。自分を連れて来る――雪かきが必要になる程、長時間かかる話し合いなのだろう。今のうちにやり残した仕事をできれば良いのに。突っ立ってぼーっとしていると、ちらほら雪が散り始め、だんだん勢いが増していった。土の上が薄っすら白くなり、雪に覆われていく。
 立っていても暇なので、スコップで払いのけるように薄く積もった雪を退けていた小姫だが、それも追いつかなくなってきた。櫛田家から華月家までの徒歩五分ほどの道の雪を掬い、道の端に投げ飛ばしていく。

 雪は弱まることなく、既に一時間以上降り続いている。時刻は十八時を過ぎた頃で、辺りは真っ暗だ。ぽつぽつと設置された炎の妖鉱石を設置した灯篭と、夜目もそこそこ利く種族であるため、暗さで作業ができないことはない。それでも雪と地面を見分けにくい。何度も櫛田家と華月家を行き来するが、雪とのいたちごっこが終わらない。
 少し休憩、と小姫は華月家の前で溜息を吐く。こまめに雪を退けているため、そこまで疲労はしていないが、手足は冷たさで感覚がなく、昼間の力仕事の疲れで少しふらつく。威与たちがいつ出てくるか分からないため、またすぐに雪かき作業に戻らなくてはいけない。スコップに体重を預けてげんなりしていると、こちらに向かってくる気配を感じた。威与たちではない、屋敷に向かってくる。慌ててスコップを持ち直し、作業を再開する。

「あなたは……」

 小姫の視界に、和傘を差した大鬼の少女が映る。桜柄の鮮やかな赤い着物に、桃色の防寒着を羽織った少女。背に垂れた茶色の髪、頭には桜の髪飾り。敵意のない赤い瞳で、不思議そうにこちらを見ている。

「どうして家の前で?寒くないの?」

 小姫は眉をひそめる。この少女は自分のことを知らないのか?里中の鬼が自分のことを忌嫌っているというのに。この歪なツノを見ればすぐに異端だと分かるはずだが、少女は心配そうな表情をして近づいて来る。思わず数歩後ずさる。

「大丈夫?」
「寄らないでください。私は異端児ですよ」

 彼女が華月家の屋敷を家と言った。ここの娘か何かだろう。そんな貴族と一緒にいるのを見られたら、無礼者だと大鬼の逆鱗に触れてしまうだろう。しかし、少女は目の前まで歩いてきて、傘をこちらに傾け、少し高い目線を小姫に合わせて笑顔を作って見せた。

「そういうのには興味ないの。私は華月桜蘭。小鬼と大鬼のハーフさん、あなたの名前は?」

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コメント: 3
  • #1

    ゆがみん (月曜日, 29 1月 2024 02:08)

    桜蘭さん純粋に良い存在であってくれ…
    文章を読み進めるたびにイメージが広がっていくのが楽しいです。
    季節は冬の冷間かな?
    本格的に雪が降り出してていかにも寒そうだ…。
    風呂入ったあとでの雪掻きは流石に拷問と言わんばかり。
    奴隷としての扱いが極まってますね。
    なんとなく自分の推測では
    この後タイミング良く威与が来てその場では何も揉めずに、後で威与に小姫がめちゃめちゃ拷問受けるとかの展開なのかな…。
    また不意に出てきた桜蘭さんが威与に何かしらでつかかったりして小姫を庇う感じで目の前で殺されたりするのかもしれない。
    などと今後の妄想を膨らませながら楽しみにしてます。

  • #2

    幻夢界観測所 (月曜日, 29 1月 2024 22:37)

    ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
    季節はそれくらいですね、よくぞお分かりに!
    汚れてたから風呂入らせたのに、また外作業、まさに鬼の所業…。
    桜蘭、一体何者なんだ…でも桜蘭死亡ルートは絶望しかない!w

  • #3

    ゆがみん (火曜日, 30 1月 2024 02:31)

    絶望は甘味。
    可哀想は尊い!w