異端の鬼6

 やってしまった。
 時刻は朝の五時頃。夜の間にまた雪が降ったようで、雪掻きされていた道が白くなっている。まだ起きている者が少ない静かな里を、小姫は慌てて走り抜けていた。
 昨夜は桜蘭のことを考えながら眠ってしまったが、小姫にはやらなければいけない作業――昼間大鬼に命令されていた薪作りが残ったままだった。

「くそっ、何やってんだか」

 小姫は油断していた自分に悪態をつきながら、薪を放置している場所へ向かう。今から急いで作業すれば、大鬼に気づかれる前に終わらせられるかもしれない。後は薪を乾かすための場所に移動させるだけなのだから。
 作業場に着くと、積まれた薪が雪を被っている姿が目に入った。雪ごと抱える勢いで持てるかぎりの薪を両腕で抱え込む。そして新雪を蹴り飛ばしながら指定された場所へ走る。ぐっすり眠ったため、体力はしっかり回復していた。そのせいでピンチに陥っているのだが。

 死に物狂いで往復作業を続け、一時間ほどで最後の一抱えになった。すっかり踏み荒らされた道を一走りし、積み重ねた薪の山に最後の薪を加え、ほっと息をつく。なんとか終わった――

「よう、ご苦労だな」

 意地悪い男の声。安堵した小姫を嘲笑うかのように、薪作りの仕事を押し付けてきた大鬼が現れた。小姫の顔からさっと血の気が引いた。

「随分時間がかかったんだなぁ?威与様は昨日のうちに自宅に着いていたそうだが?お前は一晩かけてこの作業を終えたってことでいいか?」
「え、えっと……その」

 小姫がどう答えるか迷っていると、大鬼はニコニコと笑い、小姫に手を差し出した。そしてその手を返して小姫のツノをガッと握る。

「俺の質問に素直に答えられないと?ゴミのくせに言い訳しようとでも?」

 大鬼はツノを掴み、小姫を引きずりながら里の外れへ歩いて行く。
 おわった。抵抗すればさらに酷い目に遭う。小姫は大人しく雪の上をずりずりと運ばれて行った。





 全身が痛みで熱い。しかし、皮膚を伝う赤い液体は冬の風で冷やされ、体温を奪っていく。焦点の合わない視界には、気晴らしをしたというのに不満そうな大鬼が何か言っていたが、朦朧とする意識では理解できなかった。大鬼は舌打ちをして、最後に小姫の脇腹を蹴ってから里へ帰って行った。

「あし……」

 木の幹にもたれかかっている小姫だが、少し先には引きちぎられた自分の右の膝下が転がっている。早くくっつけないと、と赤く染まった雪の上を這う。腕も折れているのか上手く身体を支えられず、不細工にもがいて進む。視界がおかしいと思ったら、左目も潰れていたらしい。なんとか足を掴み、本来あるべき位置にあてがう。鬼の回復力をもってすれば、しばらくすれば再生していくはずだ。殴られ、叩きつけられ、捻じられ、引き裂かれた身体を横たえ、回復を待つ。まだ血は止まらず、浅く早い呼吸をして目を閉じていた。

 痛みすら麻痺しかけた意識の中、ぼんやりと桜蘭のことを思い出した。結局これが自分の日常なのだ。桜蘭のような存在はただのイレギュラー。優しくされ、どこか期待してしまったがために、先程の大鬼が手を差し伸べてきた時にも、ほんの僅かに希望を抱いてしまった。馬鹿みたいだ。自分は奴隷、異端児、ゴミ、不満の捌け口。立場を理解しろ。この里の何者にも心を許すな、信用するな。
 小姫の心に黒いモヤがかかる。自死さえも許されない言葉の呪い、恐怖を威与にかけられ、絶望と百年も共に過ごしてきたのだ。心を殺すことくらい容易い。桜蘭のことは忘れよう。

 一時間程、何度か意識を手放しながらも安静にした結果、なんとか動けるほどまで回復した。まだ右足に力は入らないし、目は霞むし、折れた骨も潰れた内臓も痛むが、移動程度ならできるだろう。何も命じられていない時は眠っていた倉庫にいるように言われている。風も人目も防げるし、早くそこに戻りたい。足を引きずりながら、鬼のあまりいない物陰を通って櫛田家に向かう。
 たまにすれ違う鬼に悲鳴を上げられながらも、もうすぐ櫛田家に着くところまで来た。あと少し。しかし、そこで最悪な相手と遭遇してしまった。

「こ、小姫!?」

 どす黒い血にまみれた酷い姿の小姫を見て、桜蘭がぎょっとする。自分と対称的な鮮やかな赤い着物が眩しい。桜蘭は小姫に駆け寄って大丈夫か聞きながら、どうしようかと慌てている。

「どうも、私は先を急ぎますので……」

 小姫は虚ろな声でそう言うと、支えようとしてきた桜蘭を避けて歩き出した。桜蘭は一瞬押し黙ったが、すぐに行く手を塞ぐように回り込んでくる。

「手当しないと!杖があれば、少しなら回復術も使えるから待って――」
「いえ、結構です」
「な、なに言ってるの!?どうせ櫛田家に戻っても何もしてもらえないんでしょ?小姫が死んじゃう……!」

 必死な桜蘭を小姫は冷めた目で見る。冬空のように曇った瞳に桜蘭は映っておらず、深い闇だけがあった。そして小姫はふふっと笑う。その笑顔を見て桜蘭が怯んだ。

「私に関わらないでください」

 桜蘭の立場を思いやっての言葉ではない。小姫からの拒絶の声だった。

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コメント: 2
  • #1

    ゆがみん (水曜日, 06 3月 2024 23:10)

    あかん…
    なんかもぅ…
    涙が止まんない…
    不憫!何たる不憫!
    この残酷理不尽。
    この世界は憎まれるべき。
    それなのにどうしてだろう…
    愉悦。
    思考がもっと先を求めてしまうのです。
    私はおかしいんでしょうか?
    小姫は期待を確かに抱いていた。
    でも現実という真実に結局は行き着いてしまう。
    力があれば。
    力さえあれば。
    誰も抗えない。
    力を早く。
    目覚めてくれないかな…
    覚醒が待ち遠しい。
    何も信じていないその瞳の先には何もない深淵。
    いいですね…
    か弱きものが黒く染まっていく様は…美しい。

    さぁ…次は…どうなるやら…。
    楽しみです。

  • #2

    幻夢界観測所 (木曜日, 07 3月 2024 23:31)

    ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
    小姫虐が止まらない、彼女の未来のためにもっと絶望を与えなきゃ…(?)
    弱肉強食の世界では、普通の力ではなかなか下克上できませんから、抗えば抗うほど底へ……。