ゆっくりと意識が戻り始める。最悪な夢を見た。小姫の人生が一転した日の記憶。心臓がバクバクし、嫌な汗もかいている一方、何かに守られているような、安心するような感覚もある。まどろみの中で、だんだん思考と感覚がはっきりしてきた。頭を撫でられているのだ。眠気で重い瞼を開けると、薄暗い倉庫の中。たしか桜蘭に連れて来られたはずだ。床で寝ていて身体が強張っているが、頭は枕のような何かにもたれている。
「あ、起きた?」
桜蘭の声がすぐそばで聞こえた。はっとして声の方、斜め上に視線を送ると、こちらを覗き込む桜蘭の顔があった。体勢的に、今自分は桜蘭に膝枕をされている……?
「ああ、急に動かない方が――」
「うっ」
「ごめん、目で見える範囲は治せたんだけど、身体の中は怪我の場所がわからなくて……」
そういえば傷を治療してもらっていたのだった。じっとしていれば痛みを感じない程に傷は回復しているようだが、起き上がろうとするとまだあちこち痛む。桜蘭の顔は少し血色が悪く、疲労しきっている。そこまでして苦手な治癒術を施してくれたのだろう。
「大丈夫です。これくらいなら、後は自分で回復できます。……ありがとうございます」
小姫はそう言って、ゆっくり上半身を起こす。かかっていた毛布がするりと落ち、肌が空気にさらされて寒い。肌が……?
「あ、その!傷探すときに脱がしただけで!血まみれだったから勝手に洗っちゃったけど、多分もう乾いてるはず!」
桜蘭が慌てて立ち上がり、足が痺れたのかぎこちなく歩いて行った。別に気にしないのに。
「はい、これ。……ぼろぼろになっちゃってるし、私のおふるあげようか?」
「いえ、私がボロ布以外着ていたら不審がられます」
「そっか……。ちょ、ちょっとは隠してよ!」
一人恥ずかしがっている桜蘭から服を返してもらい身にまとう。炎の妖鉱石で乾かしていたのか温かい。しかし大鬼のせいで本当にボロ布同然になっていて、ただでさえ薄い生地なのに、肌を覆えない部分までできてしまっていた。帰ったら雑巾にでもしよう。
「小姫」
桜蘭が先程座っていた場所に座り、隣に座れと床をぽんぽん叩く。迷ったが大人しく従う。
「櫛田のところの鬼にやられたの?」
「まあ、そんなところです。たまにされるので大したことありません」
「たまにって……そんなのが許されていいわけないじゃん」
また桜蘭が自分のことで怒っている。拒絶したのに、そんなことなかったかのように小姫を心配し、手当てし、現状を嘆いている。どうして……。
「もう、行きます。ありがとうございました」
桜蘭と関わらない。そう決めたのだ。桜蘭への疑問と戸惑いで心が揺らがないうちに別れた方が良いと思い、小姫は立ち上がろうとする。
「待って」
しかし桜蘭は小姫の手首を掴んで阻止する。
「あのさ、小姫は私のこと、嫌い?」
「そういうわけでは……」
「でも、避けようとしてるよね?私が大鬼だから?それとも、鬱陶しかったりするのかな」
桜蘭はじっと小姫の顔を見つめる。赤い瞳が不安で揺らいでいる。彼女自身に問題はないと小姫も思っているが、そう答えて優しくされても困る。罪悪感でその目を見つめ返せず、黙ったまま自分の手元に視線を落とす。桜蘭も黙ってしまい、空気が重くなる。
「私は……あなたが理解できません。私と接しても、あなたには不利益しかないでしょう」
耐えかねた小姫がそう言うと、桜蘭は少し迷った後、照れ臭そうに頬を掻いて話し始めた。
「あるよ……。私、華月家の一人娘ってことで小鬼にも大鬼にも、みんなに敬われるの。でも、華月家の娘だからそうされてるだけで、私に心から親しくしてくれる鬼はいない。友達もいない。親も礼儀作法や勉強のことしか言ってこない。みんな身分のことばかり。
でも、小姫となら、櫛田家の一人娘のあなたとなら、立場は一緒のはずでしょ?だから小姫となら友達になれると思うの。種族や身分の壁なんてくだらないけど、私から歩み寄っても相手に避けられたらどうしようもないもん。
私が小姫に近づくのは、ただ友達が欲しいだけなの。ダメかな?」
小姫の手首を掴んでいた桜蘭の手が、手の甲に重ねられる。
そうか。桜蘭は輝いた世界にいるとばかり思っていたが、彼女は無理矢理光を浴びせられていただけで、孤独だったのだ。桜蘭の行動のわけは分かったが、それでも種族差という高く分厚い壁が小姫を思い止まらせる。友達になったとしても、小姫が忌み嫌われるのは変わらない。むしろさらに目をつけられ、桜蘭ともども嫌がらせをされるに違いない。
「実は、両親に小姫と接することは許可されたんだ。櫛田家の情報を探るためって嘘の言い訳して説得したの。だから、私は華月家のために小姫を利用している設定なの。そんなつもりはないんだけどね。だから変な心配はしなくていいよ」
小姫の心配を読んだかのように桜蘭はそう言った。雪掻き免除に治療に、異端児と接することを許可されるなど、たったの一日で小姫のためにどれだけのことを成すのだこの鬼は。小姫は驚きで開いた口が塞がらない。
――小姫も宝物を見つけるんだぞ
夢で見た父の言葉がどこかから聞こえた。たからもの……。
小姫は顔を上げ、桜蘭と目を合わせた。桜蘭はふふっと笑って、小姫の手を握りしめる。
「初めての友達同士だね」
小姫の凍った心に大きなひびが入り、どんどん脆くなって剥がれ落ちていく。そして氷は暖かな空気に触れて溶け、雫となってこぼれ落ちた。
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ゆがみん (月曜日, 11 3月 2024 01:39)
てぇてぇすぎる。
すごくてぇてぇ…
なにこれ…
なんっだ…これは…尊い
とまらない!
もう!
本当にロマンティックがとまらない!
これはなんなんだ!
熱いぞ!胸の奥深くが燃えている!
なんだこの最後の締めは!
詩人か?詩人なのか!
小姫の凍った心に大きなひびが入り、どんどん脆くなって剥がれ落ちていく。そして氷は暖かな空気に触れて溶け、雫となってこぼれ落ちた。
ココスキ!!!
小姫…がついにブワッと泣くんじゃなくて静かに涙を流している表現と捉えていいだろうか!!!
なかすじゃねぇか!!
んにゃろー!!
てやんでいつづきは!つづきは!
どうなるんだ!!
とまぁ…興奮する気持ちを抑えましょう。
改めてお疲れ様です。
力に支配された世界で心情を捨てた者に囲まれた桜蘭も見かけはいいが居心地は悪かった。価値観が合わない環境に不安が溜まりまくってた。
機転が効く桜蘭も流石だが…行動力はもう…愛じゃね?くらいに思いました。
小姫桜蘭てぇてぇすぎんだろ!
幻夢界観測所 (月曜日, 11 3月 2024 03:26)
ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
久々にほのぼのに戻ってきました。百合の気配がする……。
前々回くらいにもう一度氷の表現入れてたら綺麗に繋がったのにと少し後悔……。
ようやく名がある関係になれたところで、そろそろ終盤かもしれません。