「あ……わ、わた、し」
ぽろぽろと小姫の頬を伝う大粒の涙。どうして泣いているのか分からず、困惑して目元を拭うが、すぐに溢れてしまう。そんな小姫の肩に桜蘭は腕を回し、もたれさせるように引き寄せた。桜蘭に抱きつくような体勢になり、彼女の温かい体温が小姫を包み込む。
「桜蘭様……」
「様なんてつけないで、呼び捨てでいいよ」
そのまま頭を撫でられ、小姫の感情が決壊する。
「おう、らん……!う、あぁ……あああああああああああああああああ――」
堪えていた声も抑えられなくなり、嗚咽交じりに泣きじゃくる。今まで受けてきた酷い差別や理不尽な扱い、仕方ないと割り切っていたつもりだが、蓄積してきた不満が涙となって爆発していた。桜蘭に強く抱き着き、子供のように泣きじゃくった。桜蘭は小さい声で辛かったねと言い、ゆっくり頭を撫で続けている。
この優しさが嘘でも夢でも構わない。彼女が自分を騙していたとしても、今はそんなこと疑う余裕がなかった。百年分の辛い思いを叫び、涙が枯れるまで桜蘭に縋り付いていた。
「落ち着いた?」
「……うん」
小姫は鼻水を啜りながら、泣きはらした目元を袖で拭う。
「ごめん、桜蘭の着物汚しちゃった」
小姫が抱き着いて泣いていたせいで、桜蘭の肩の部分が涙で染みになっている。桜蘭は今気づいたかのようにその部分を見て、目をぱちくりさせる。
「いいのいいの、これくらい。それより、小姫が敬語じゃなく普通に話してくれて嬉しいよ」
「むぅ、誰のせいで……」
小姫が泣き止みかけて、桜蘭に聞いてくれた礼を言っていた時、慰めると同時に桜蘭は敬語じゃなくていい、タメ口で話して、はいじゃなくてうんなど、いちいち小姫の言葉を訂正してきたのだ。強引な鬼だ。
「ところで、私がここに来てからどれくらい経ってるの?」
「朝の八時くらいだったっけ?今は多分正午前くらいだよ」
午前中はほとんどここで過ごしてしまっていたのか。いくら桜蘭と友達になったとはいえ、周りに公表できることではない。小姫が消えていた空白の時間を、威与や他の櫛田の鬼になんと言い訳しようか。桜蘭も察したようで、顎に手を当ててうーんと唸る。
「いっそのこと二人で威与様の前に行っちゃう?」
「何言ってるの?」
桜蘭のぶっ飛んだ提案に、小姫はじろりと横目で桜蘭を見る。
「ほら、私は小姫から櫛田家の情報を探ってる設定って言ったでしょ?その設定を威与様にも教えるの。小姫も私から華月家の情報を探っていることにしちゃえば、威与様の役に立ちつつ、私たちが会うことも不審がられないんじゃない?」
「うーん、危険すぎない?本当に家の情報漏らしたら、お互いにただじゃ済まないよ」
「適当にそれっぽいこと言えばいいのよ。例えば私の母親が虹の森へ向かっていたから、外で何か企んでいるのかもとか。日常的な情報を教え合って、そこにそれっぽい憶測をつけちゃえば、嘘はついてないことになるでしょ」
「なるほど……?」
その程度で威与たちを欺けるのだろうか。不安に思う一方、下手な言い訳をしてまた殴られるよりはマシだと、桜蘭に同意する。
「じゃあ、早速行こうか」
立ち上がり、桜蘭が手を差し出す。小姫は口元を緩め、その手をしっかり掴んで立ち上がった。
片づけや支度をしながら、軽く打ち合わせをして倉庫から出る。ある程度暖かかった室内と冬の外気との温度差に、ぶるっと身震いをする。昨日のお札を桜蘭が差し出してくれたが、ボロボロの服を来た今の小姫では札を隠して貼れないため断った。
二人は少し距離を開けて歩き、桜蘭が先の道を進んでいた。道行く小鬼が桜蘭に頭を下げ、後ろの小姫を避けて通り過ぎていく。一緒に行動しているとは思われていないようだ。
桜蘭は櫛田家に着くと、門番に威与がいないかと尋ねている。門番は首を傾げながら、屋敷に威与を呼びに行った。少しして、護衛や門番も連れてくることなく、威与だけが玄関に出てきてくれた。小姫は少し離れた場所で立ち止まり、二人の話途中で玄関に入れないふりをする。世間には小姫と桜蘭の関係を隠すためだ。桜蘭越しに威与は小姫を見つけ、何をしているのかと眉をひそめている。
「お久しぶりです、威与様」
「華月の一人娘ではないか。一体なんの用で?」
「実は……」
桜蘭が小姫の方を向き、目配せする。小姫はおずおずと二人の元へ近づき、桜蘭の隣に立って威与に頭を下げる。
「ふむ、こいつが何か?」
「いえ、そのですね――」
桜蘭は小姫が重傷で倒れていたのを見つけ、手当てしたことを伝えた。治療は苦手だ、櫛田家の鬼を放っておけなかったなど、媚びを売り褒美を求めるような言い方で。威与は瞳に鬱陶しそうな色を浮かべ、分かったと桜蘭の言葉を遮る。
「華月には貸しを作ってしまったようだな。後日、そちらに伺わせてもらうよ」
「貸しだなんて恐れ多いです。ふふふ、お待ちしていますね。それでは私はここで失礼します」
桜蘭は一礼して櫛田家を後にする。威与は忌まわしそうにその背中を睨み、小姫はまたねと内心呟いて見送った。
小姫と威与は玄関内に入る。
「華月の娘が言っていたことは本当か?」
「はい、すみません。今朝、『教育』の後見つかってしまいました」
「ちっ。だから外でするなと言ったではないか、阿呆共め……。しかし華月のやつら、面白い娘を送ってくれたではないか」
威与はイライラしていたかと思われたが、その顔は笑っているように見えた。不気味に思いながらも、小姫は段取り通りの言葉を発する。
「あの娘、桜蘭が言っていたんですが、華月家は炎神の式神と取引をしているそうです」
「ほう。続けろ」
「炎神の式神にもらった札があれば寒くないのにと、愚痴をこぼしていました。櫛田家も必要なら妖鉱石と交換してあげようか、と言っていました」
「ふん。舐め腐ったガキだな」
威与は少し考えて小姫に向き直った。
「お前、あの娘から華月の情報を探ってこい。向こうが避けるなら深追いはするな。まあ、あの様子だとあちらから集ってきそうだがな」
「わ、私がですか……?」
「お前にまとわりつかれてると知れれば、華月の評判も下がるだろう。余計なことは伝えず、好きにやって来い」
まあ、お前が伝えれる櫛田の情報なんてないか、と威与はははっと笑って廊下を歩いて消えていった。
思っていたよりすんなり話が進み、小姫はしばらくぽつんと立ち尽くす。これでいいのか?情報面で見れば櫛田も華月も探り合いをでき、小姫と桜蘭は友達として会える。桜蘭の言っていたとおりの展開になった。あっさり解決してしまった威与という不安要素が消えてしまい、小姫は手ごたえを実感できないまま、いつも待機している櫛田家の倉庫へ向かうのだった。
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ゆがみん (月曜日, 18 3月 2024)
お疲れ様です
ゆがみんです。
話がすんなりとしすぎていて
本当にこれで良いのか…?
まさにそれでした。
最終ではどのような展開が繰り広げられるか…とても楽しみです。
はやく覚醒してほしいですと切に願うゆがみんです。
上手く行き過ぎる工程からの奈落に突き落とされる。
よくありがちで王道。
少しの油断も見逃さず読者を突き落とすスタイルに一票。
以前Twitterにて感情を爆発させるのが照れくさいなどと投稿がありましたがこの場面のところでしたか。
不意打ちですね。
今回の挿絵はただただ染みました。
小姫の耐え抜いてきた様々な感情に便乗し私も泣いてしまいました。
こころの中で報われてよかったとそう思いました。
でもハッピーエンドで終わることはない。
私はハッピーエンドは壊すもの。
読者のハートを掴み握りつぶし
人の心とかないんか?
と思わせるやり口私は嫌いじゃないです。
幸せは儚いもので尊いもの。
故に本日のアップされたストーリーの心の休息ライン次には即死すると思います。
小姫は桜蘭は果たしてどのような結末を迎えるのか読者としてファンとして見届けたいと思います。
まだまだ走り続けて頑張ってください
幻夢界観測所 (月曜日, 18 3月 2024 03:29)
ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
こんなにすんなりいくのは、きっと桜蘭の計画通りなんでしょう、きっと。
小姫の正体的にハッピーになることはないので……転落してしまうんですかねぇ。
即死だなんてそんな、まるで小姫パッパじゃあるまいし……。