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異端の鬼11

 叫び疲れてからも、小姫は恨みの感情を煮えたぎらせていた。木の根が刺さったままで回復もできず、身動きも取れない現状。どんどん弱っていくはずだが、小姫の強い憎しみは意識をはっきりさせるだけの力があった。

 そんな小姫の視界に、黒い何かが映る。何もなかった空に黒い大きな塊が現れ、こちらへ向かって降りてくる。巨大な幽霊のようなそれは禍々しい瘴気を纏っており、膨大な妖力を持っていることが一目で分かった。頭と思われる場所が十字に赤く光っていて、身体からは無数の長い腕が生えている。その異形の頭の上に黒い棘のついた輪が浮いている。
 堕落族――小姫の脳裏にその単語が過ぎる。創造神にも匹敵する力を持つとされている存在で、命や負の感情を喰らい、幻夢界を破壊する者たち。この霊のような姿の異形は間違いない、堕落族の頂点である堕天霊(だてんりょう)だ。

『我を見ても動じんか、やはり……』

 堕天霊は脳に直接響くような不思議な声でそう言う。何のことだと小姫は眉をひそめるが、すぐに気づいた。誰もが恐る圧倒的な相手に対して、自分は恐怖を感じていなかった。威与たちのことで頭がいっぱいでそれどころではなかったという方が近い。

『貴様の負の感情はそこらのやつとは別格だな』

 堕天霊は楽しそうに言う。自分を食べたいのだろうか。ここで殺されるならそれでもいい。怨霊になってでも鬼の里を呪い殺すつもりの小姫は、死への恐怖など微塵もなかった。

「殺すなら勝手にどうぞ」
『まあ、食うのも美味そうではあるが、それだけではつまらない』
「何が目的です?……あ、そうだ。私だけで足りないなら、鬼の里のやつらも全員食べたらどうですか?」

 小姫は冗談混じりに笑いながら言う。桜蘭だけは逃してほしいが、こんな大物がそんな慈悲はくれないだろうと、小さな希望を嘲笑する。
 堕天霊は黙っている。目のない頭にじっくり見つめられているようで居心地が悪い。

『貴様が食いに行ったらどうだ?』
「え?ははっ、行けたらいいですねぇ」

 堕天霊の意外な言葉に驚きつつも、力の入らないこんな状態の己の身体では無理だと首を横に振る。

『ふむ、その能力も覚醒しきっていないか』
「能力?」

 何のことだ。威与や他の御三家の鬼など、特別な能力を持っている存在は知っているが、小姫はそんなもの持っていない。鬼という種族が持つ怪力と再生力だけだ。その思考を読み取ったかのように堕天馬は言う。

『ただの鬼がそんな状態で笑えてるわけないだろう。貴様、他の鬼より再生力が強かったり、しぶとく生き残ったりしているだろう』
「……」

 思い返せば、今まで何度も死にかけるような暴行をされてきた。睡眠や休息も与えられない時もあったが、何だかんだ百年も生き延びている。大鬼でも耐えがたいであろう環境で、ハーフの小姫が。

『肉体や精神が追い詰められると力が強くなるのだろうな。負の感情由来の能力かもな』

 堕天霊は無数の腕の一つを小姫の前まで伸ばし、鉤爪のような手のひらを広げる。そこには黒い小さな霊魂があった。

『堕落族になってみないか?』

 小姫は首を傾げる。意味がわからない。堕落族に勧誘されている?

『貴様の負の感情であれば、もしかすると適性があるかもしれん。壊したくないか?貴様をこんな目に遭わせたやつも、この忌まわしき世界も』
「あの鬼たちを、殺せる……」
『そうだ』

 小姫の瞳が揺らめく霊魂に固定される。堕落族には興味ないが、力はほしい。小姫の実力など、先程大鬼に体当たりしかできず、あっけなくこんな状態になっている程度だ。戦闘の知識もなく、体型も小柄な小姫が大鬼に勝てるはずがない。しかし今、すぐ目の前に復讐に必要な力があるのだ。これを逃すわけがなかった。

「どうすればいいのですか?」
『こいつを飲み込め。堕落族の力に耐えられたら成功だ。適性がなければ貴様は跡形もなく消滅する』

 霊魂は堕天霊の手元を離れ、小姫の口元までやってくる。触れてもいないのに、心がざわざわするような不快感がする。これが堕落族の力……。
 小姫の口は笑った形で開かれ、そこに霊魂が入り込む。霊魂に実体はないはずだが、不快感の塊が実体を形取っているようだった。身体が拒絶するそれを無理矢理喉奥に押し込み、確かに飲み込んだ。
 直後、体内で何かが爆発する。

「うっ、あ、あがあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」

 憎しみ、悲しみ、怒り、恐怖、絶望、嫌悪、拒絶――負の感情によって生み出される力、負のエネルギーが霊魂だったものから放出され、小姫の身体も意識もを包み込む。全てが乗っ取られそうになり、息ができない。苦しい。傷口も体内も、全身が燃えるように熱い。
 ここで負けてしまえば負のエネルギーに燃やし尽くされ、堕天霊が言ったように跡形もなく消滅するのだろう。
 小姫は飛びそうな意識の中、何とか自身の感情を見つける。鬼の里への恨み。父を殺し、小姫に絶望の日々を与え、やっと出会えた光さえも消そうとする鬼たち。

「ころ、す!!」

 この消滅と一歩隣にいる危機と負のエネルギーが、小姫の『苦境な程力を得る能力』を完成させた。小姫は唸りながら堕落族の負のエネルギーを、自身の恨みに取り込んでいく。徐々に苦しみが収まっていき、小姫と堕落族の力が混じり合って一つになって行く。

「は、ははは……やったんだ、これで!あは、あははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 小姫は目を見開き、狂ったように身体を揺らして笑い叫ぶ。まだ身体を貫いたままの木の根が傷口を広げることなど、全く気にならない。身体の奥底から力が湧き上がり、すぐに傷口が塞がるのだ。溢れる力で痛みすら感じない。

『成功だな。さあ、堕ちろ。そして暴れてこい』
「あは、あははは、はーっ、はーっ、いや、まだですよ」
『どういうことだ?』

 小姫は笑いすぎて乱れた息を整え、夜が迫って来る空を見つめた。

「せっかくの晴れ舞台なんですから。ちゃんと皆に最期の小姫を見せてあげないと」
『ほう。なら自分のタイミングでなるといい。楽しみにしているぞ、堕天の鬼の誕生を』

 堕天霊はそう言うと、身体を霧化させ、夜と共に姿を消した。

 小姫は今すぐにでも身体を固定している木の根を排除できるし、堕落族の力を開放することもできた。しかしまだ何もせず、威与か他の鬼が明日来るまで待つつもりだ。小姫は口の端を吊り上げ、湧き上がる力を抑えて心躍らせる。これほどまでに次の日を楽しみに思ったことはあっただろうか。

 堕天霊と出会って力を得て、まだ力を開放していないというのに、小姫には変化が表れていた。妖力の向上はもちろんだが、本人も気づいていない変化がある。
 堕天霊と出会うまでは、鬼への恨みと桜蘭を救いたい気持ちで小姫は怒り狂っていた。こんな圧倒的な力を手に入れたのだから、すぐにでも桜蘭を助けに行かなければ、何かあってからでは遅いと思っていいはずなのに。しかし、あの霊魂を取り込んでから、小姫の思考は恨み一色に染まっていた。桜蘭の記憶が消えたわけではないが、恨みよりも優先順位が下がっているのだ。思い出してもすぐに頭の片隅に追いやられる。

「よかったな小姫、もうすぐお前の無念が晴らされるぞ」

 異端の鬼はくくくと笑い、目を閉じて朝の訪れを待った。

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コメント: 2
  • #1

    ゆがみん (月曜日, 01 4月 2024 02:08)

    YATTA!YATTA!
    ついに…ついに!!!
    いっっっっやったあああああああ!!!!
    覚醒覚醒覚醒覚醒!!!
    おめでとう!!!
    はい!ということで…改めてお疲れ様です。
    ゆがみんです。
    堕天霊だったんですね。
    全てから忌み嫌われている負の権化が目の前に来ても動じない小姫はそれ程にイラついていた。
    そもそもが素質がありすぎたってのが良いですね。
    しかも本人は無意識。
    圧倒的な絶望から復讐の炎を燃やす。
    ただ殺すのは勿体ない。
    まさに混じり合った証拠なんだろうなと感じました。
    自我と堕天の魂を対比すると何となく2対8くらいなんじゃないかな…?とワクワクしながら頭の中で妄想にふける度でございます。
    混じってる混じってるっ!って思ったところは桜蘭に対しての想いが薄まっていた所。私的には堕天鬼が桜蘭とガチ戦いして桜蘭を堕天鬼自ら葬る場面があればそれはそれでえぐめのENDになるんじゃないかなぁー?とか桜蘭は必死に呼びかけるけど堕天鬼となった小姫はもうあの時の小姫ではない。それでも桜蘭が原型をなくしても這いずりながら堕天鬼の足を掴んで最終的に堕天鬼に「お前みたいなやつしらねぇよ」って吐き捨てられて桜蘭の微かな瞳の光が消えてゆくみたいなのが…見てみたいですね。
    失礼…いっぱいいっぱい語りすぎました。
    次回もきっと美味しい所で焦らされるに違いないと予想します。
    (おわってほしくねぇ…とは言えませんね…)

  • #2

    幻夢界観測所 (月曜日, 08 4月 2024 00:51)

    ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
    ついに堕天霊が来てしまいました、もう取り返しがつかない段階に…。堕落族に余計な記憶は必要ありませんからね、桜蘭のことも…。
    桜蘭バッドエンド、それはそれでいいなぁ^^ 堕天鬼慈悲なさすぎて泣いちゃった!