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異端の鬼12

「これでよく生きてるよな」
「これが大鬼の力なんじゃねーの?さっさと運ぼうぜ」

 二人の鬼の声で小姫は目を覚ました。時間は分からないが、日は完全に昇っていて眩しい。青空には桜の花びらが舞っている。

「うわ、マジで生きてるわ。おい、大人しくしてろよ」

 小姫の周りにいるのは、若い男の小鬼二人だった。威与に小姫を連れてくるように頼まれたのだろう。持ってきた斧で小姫に刺さっている木の根を切断し、容赦なく抜いていく。また傷口から血が流れだし、小姫は痛みに顔をしかめる。フリをする。傷も妖力を集中させればすぐに塞げるが、まだ小姫を演じてそのままにしておいた。
 歩けないと判断され、手首を持ってずりずりと仰向けで引きずられる。もう一人が抵抗した時のために斧を持って小姫を監視している。そのまま鬼の里まで引きずられ、櫛田家に届けられる。

「ご苦労」

 待っていた威与が小鬼に報酬を渡して小姫を受け取る。

「みっともない姿だねぇ、お前にはお似合いか」
「……桜蘭は?」
「もう自由に家から出してもらえないんじゃないか、あの殺人娘。櫛田派閥の鬼は華月に激怒してるし、面倒な娘を持ったもんだね。ああ、それは櫛田もか」
「あんたが殺したくせに」
「そうだったかね?」

 威与が嘲笑うように小姫を見下ろし、小鬼と同じように小姫の手首を掴んで庭まで移動する。そして庭に置いていた桶を持ち、中身を小姫にぶっかける。緑がかった透明な液体は、少しツンとした薬っぽい臭いがする。回復薬だ。腹や手足の傷がみるみるうちに回復していく。そしてずぶ濡れの小姫の側に乾いた着物を投げつける。
 小姫は反抗的な目で威与を睨みながら、警戒したようにおずおずと着物を取り、服を着替える。その間に威与は目的を話し始める。

「今日の昼、華月の娘への尋問が行われる。里の鬼みんなの前でな。もちろん、お前も華月の娘を狂わせた元凶として連れて行ってやるよ。鬼たちの苛立った気持ちを受け止めるのは得意だろう?」

 小姫が着替え終えると、威与は庭の隅に準備していた枷を持ってきた。両手が鎖で繋がれている手枷、両足にはそれぞれ重い鉄球が繋がれている足枷。並大抵の力では鎖がちぎれないようにと、鬼用に強力な加工をされている。それらを小姫に装着し、しっかりと鍵をかける。

「じゃあ、そこで昼まで待ってな」

 威与はそう言って屋敷の中へ消えていった。その背中を見送り、庭に残された小姫は落胆したように膝を抱えて座る。背を丸めて顔を伏せ、肩を震わす。
 笑いをこらえるのに精一杯だった。



 正午近くになり、小姫は大鬼たちに囲まれて里の広場に連れていかれた。足の重りのせいで既に足首は擦れて血が滲んでいる。
 広場には鬼の里の多くの鬼が集まっていて、華月家や菊花家もそれぞれ家ごとにかたまっている。桜蘭は腕と胴体を縄で縛られていて、話せないように口元に布を巻き付けられている。小姫が来たことに気付き、生きていたと安心したように表情を緩めている。

 それからは威与が鬼たちに昨日の出来事を捻じ曲げて説明し、桜蘭が反論をする。桜蘭と小姫がたまに接触していたのは一部の鬼に目撃されていたようで、異端児と親しくしているというのもあって、聴衆の反応は桜蘭への疑いが強そうだ。威与が仲間を殺すというのも、簡単には信じられないのだろう。
 小姫は冷めた目で黙ったままやり取りを聞いていた。どうせ威与の思うまま、櫛田家の権力の力で思い通りにするのだろう。

「私と小姫が関わってたからって、そんなので気が狂うわけないじゃないですか!私も小姫もまともです!狂ってるのは威与様ですよ!」

 人前では冷静に振舞うことの多い桜蘭が、珍しく感情的になっている。昨日のうちに、相当理不尽な説教でも受けたのだろうか。ありもしないことを決めつけられるのは腹が立つだろう。

「随分静かではないか。昨日の威勢はどうした?」

 いつの間にか威与に話を振られていたらしい。里の鬼たちが忌々しいものを見るような目でこちらに注目している。

「どうせ私が何を言っても否定されるだけでしょう」
「本当のことを話せばいいだけだ」

 威与に話を合わせて鬼の里での安定択を取るか、真実を話して嘘つきとして罰を受けるか、どちらがいいと威与の表情が問いかけてくる。思わず小姫はふふっと笑ってしまった。威与も桜蘭も、鬼たちが全員眉を寄せる。

「別にどうでもいいですよ。大鬼が一人死んだだけでしょう?」

 小姫の発言でざわめきが起こる。異端児のくせに大鬼を軽視しやがって、無礼者、罰を与えろなどと、批判の声が次々に上がる。桜蘭はどうしたんだと驚いていて、威与ですら少し戸惑っている。

「口を慎め」

 威与の父親、櫛田家の当主が小姫に刀を向ける。あの時と同じ、小姫の父親の首をはねた刀だ。小姫の心から負の感情が込みあがってくる。

「くくくっ……、斬りたいならどうぞ、そういうのは慣れてるんです」
「舐めやがって、脅しだとでも思ったか」

 櫛田家当主は躊躇いもせずに小姫の脇腹を切り裂く。血が着物を黒く染め、足元に血だまりを作る。それでも小姫は笑ったまま態度を改めず、光のない青い瞳を聴衆に向ける。

「ほら、異端児が血を流してますよ。あんたらこういうの好きでしょ?」

 小姫の挑発に鬼たちも血管を浮かばせる。生きる価値なしと里で認知されている者から、自分たちを見下した発言をされたのだ。地位の高い大鬼はもちろん、小鬼であっても小姫よりは立場が上だ。誰かが小姫に石を投げつける。鬼の力で投げられた石は小姫の肌を簡単にえぐっていく。他の鬼もそれに続き、小姫に石の弾丸を浴びせ始める。

「ちょ、ちょっと、皆やめて!話し合いの場でしょ!威与様も何とか言ってくださいよ!小姫も変なこと言わないで!」

 桜蘭が大声で言うが、誰も話を聞いていない。
 小姫の身体はどんどん傷だらけになっていくが、比例して小姫の笑い声も大きくなる。徐々に不気味に思う鬼が増え、石の雨はぴたりと止む。

「あははははははははは、ん?あれ?もう終わりですか?こんなんじゃ、ふはっ、全然……ああ、もういいや、こんな演技!」
「お前何を言っている?」

 笑いながら訳の分からないことを言う小姫に、思わず威与が後ずさる。

「ほら、腰抜け共、もっとやれよ。お前ら差別と弱いものいじめが好きなんだろ?こっちはまだまだ元気だぞ?てめぇら鬼だろ?何にびびったんだ?」

 ドスをきかせた声で小姫が煽るが、誰も動かない。小姫の言葉だけでない、雰囲気が変わったのを誰もが理解していた。

「なんだ、つまらん。まあいいか。これが恐怖を向けられる感覚か、いいじゃん。お前らいつも私からこんな美味い感情向けられてたんだな」

 小姫が一人はしゃいでいると、威与が櫛田の大鬼の元まで下がり、命令を下した。

「あいつを殺せ。もう奴隷としても使えん、用済みだ」

 刀を持った大鬼五人が小姫を取り囲む。

「おい威与、そんなに怯えてどうした?恐怖はこれから始まるんだから、もっと楽しんで行けよ!」

 小姫は大きな声でそう言い、力を開放した。小姫中心に禍々しい風が発生し、鬼たちは顔を腕で覆う。傷だらけになった小姫は自身の特殊能力、苦境なほど力を得るという特性で、里の鬼とは桁違いの妖力を纏っていた。傷は全て治っており、黒い闇のエネルギーを全身から溢れさせている。両手を繋いでいた鎖を簡単に千切り、足枷の鉄球を踏み砕く。曲がった大きなツノと瞳は赤く染まり、頭上に棘のついた黒い輪が浮かぶ。
 誰もが知っていた。あの輪は堕落族の印であると。
「お前らが小姫に与えてきた恐怖、苦痛、絶望、全部この堕天鬼に寄越せ!」

 堕天鬼は妖力の波動で刀を持った五人を吹き飛ばす。その波動に触れた大鬼は妖力の当たった場所が黒く変色し、そこから身体が跡形も残らず消えていく。怯え切った鬼たちが慌てふためいて広場から逃げていく。

「あはははははははははははははは!たまんねえや!ほら、もっと怯えろ!」

 堕天鬼は妖力の塊をばらまきながら、目についた鬼を追って命をもぎ取っていく。大鬼の頭ですらも殴れば簡単に破片に、里の建物は積み木のように簡単に崩れ、周囲の森までも生命力を奪われて枯れ木となっている。たったの数分で鬼の里は瘴気に侵された廃村に成り果てる。命や恐怖という負の感情を喰らって力を強める堕落族。鬼という強い種族から大量のエネルギーを奪い、堕天鬼は至極の時間を楽しんでいた。

「こんな雑魚共が身分に物言わせて威張ってたのか」
「ま、待て、小姫!いや、孫よ!」

 櫛田家の屋敷だった瓦礫の影で、腰を抜かした櫛田家当主が堕天鬼を見て命乞いをする。

「何が孫だよバーカ。父親と同じ殺し方してやるよ」

 堕天鬼は櫛田家当主に馬乗りになり、肩を地面に強く押しつける。そして堕天鬼自身の爪で当主の首を突き刺し、肉も骨も横へ無理矢理に引き裂いて首をとばす。噴き出す血飛沫を浴びながら、手を払って指についた肉片を落とす。
 次の獲物はと周囲を見回すが、里は破壊された建物や堕落族の力で汚染された地面、そこに転がる鬼の肉塊と血ばかりだ。わずかな生き残りは遠くへにげてしまったのかもしれない。

「おっと」

 少し離れた瓦礫の側から視線を感じる。知っている妖力、威与だ。堕天鬼は身体を霧状にできる堕落族の特性を使って一瞬で威与の前に姿を見せ、いつもされていたように威与の首を掴み、頭を地面に叩きつけるようにして押し倒した。脳震盪を起こしながらも威与は堕天鬼の腕を掴み、痛みに歯を食いしばっている。櫛田家当主よりはしっかりしているようだ。威与からは恐怖よりも怒りや憎しみが多く伝わってくる。どれも堕天鬼を喜ばせる感情ではあるが。

「よう、母上様。あんたの父親は死んだぜ」
「知ってる」

 威与は苦しそうに言葉を吐く。そして堕天鬼が威与から離れて立ち上がろうとした隙に、隠し持っていた刀を堕天鬼の首めがけて振るった。堕天鬼はそれを素手で受け止める。

「堕落族ってすごいんですよ母上様。こうして触ったもの、なんでも無に消せるんです」

 堕天鬼が握っていた刀身が黒く変わり、空気中に溶けるように消えていく。威与は刀を手放し、悔しそうに堕天鬼を睨む。刀身を半分以上失った刀が軽い音を立てて地面に落ちた。不意打ちが失敗した威与にできる対抗策はもう残されていない。

「殺すなら殺せ」
「じゃあ遠慮なく?」

 堕天鬼は威与の刀を手にして、不自然に先がなくなった刃を威与の首へ向ける。

「じゃあな」

 目を閉じで死を待つ威与だったが、数秒経過しても痛みはなかった。威与が薄っすら目を開けると、堕天鬼がにやにやして刀を遠くへ放り投げた。

「お前は殺さないさ。今森の方へ逃げて行った鬼も生かしてやるよ」
「……ははは、随分お手柔らかじゃないか」
「ああ、見逃してやる。だからお前は鬼の里をもう一度、いや、何度も復興させろ。そのたびに壊しに来てやるからさ。お前の周りから全てを奪ってやるよ。簡単に殺すより、長く楽しめそうだろ?」

 堕天鬼はもう威与に用はないと背を向けた。

「次はこうも簡単にはいかない、殺しておかないと後悔するぞ?」
「やってみろよ。私はもう鬼とは次元が違うんだよ。おまえら程度が何やったって、全部絶望に叩き落としてやる」
「……とんだ化け物を生んでしまったな、私は」
「掟を破るからそうなるんだ」

 皮肉を威与に吐き捨て、堕天鬼は歩き出した。壊した鬼の里を一周してその光景に満足して空を見上げる。色の失われた里と違い、穏やかな青空が広がっている。そこに一瞬、黒い霊魂のようなものの姿が見えた。堕天霊が一連の出来事を見ていたのだろう。堕落族として暴れたのを確認できたからか、すぐに姿を消して行った。
 堕天鬼も里を去ろうと、堕天霊が向かった方の森へ歩き出す。

「ま、待って!」

 後ろから聞き覚えのある声に引き留められた。振り返ると、五体満足で杖を持った桜蘭がいた。土埃で所々汚れているが、大した怪我はないようだ。

「小姫、どうして堕落族に……?」
「スカウトされたんだよ」
「昨日、なんだね?」
「そうだ」

 桜蘭は悔しそうに杖を強く握る。彼女からは堕天鬼への負の感情が感じられない。

「私が憎くないのか?桜蘭の両親も殺したぞ」
「分からない。こんなことになって悲しいけど、皆小姫に恨まれても当然のことをしてたから」
「とことん良い奴だな」

 堕天鬼は呆れて笑った。純粋に、心から呆れた。小姫にも堕天鬼にも、桜蘭はやはり眩しすぎる存在だったのだ。

「これからどうするの?」
「さあな。堕落族の仲間にどうすべきか聞いてみるつもりだ」

 手をひらひらと振って別れようとしたが、桜蘭にその手を掴まれた。これまでに見たことないような、弱弱しく泣きそうな顔をしている。

「本当に堕落族のところに行っちゃうの?もう小姫を縛る里はないんだし、二人でどこか遠くで静かに暮らしたり――」

 桜蘭の言葉を首を横に振って遮る。

「私は堕落族だ。もうただの鬼じゃない。多分今までのことも、桜蘭のことも時期に忘れる。今も記憶が堕落族の力に浸食されてるのが分かるんだ」

 父親や威与、桜蘭など印象的なことはまだ覚えているが、これまで小姫を培ってきた日常の記憶が思い出せない。散々酷い目に遭ってきたということは分かるが、その詳細がどんどん消えていく。桜蘭と過ごした一年の記憶も消えていく。堕天鬼という存在には鬼を恨むという記憶以外は必要ないからだ。

「だから次私に会うことがあっても、そいつは桜蘭のことを知らないただの堕落族だ」
「……そう、どうしようもないんだね」

 堕天鬼は後ろを向く。桜蘭の涙は見たくなかった。きっとこの感覚も今だけなんだろう。

「ごめんよ、桜蘭の大切な小姫を殺してしまって」

 最後にそう言い、堕天鬼は鬼の里を去った。

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コメント: 2
  • #1

    ゆがみん (月曜日, 08 4月 2024 17:00)

    いやぁ…はい!
    お疲れ様です!!
    あれだけ理不尽な事を受け続けていた小姫の圧倒的力に手も足も出ない鬼たちにはざまあみろでしたが…最後の威与を生かすという選択がまた最高です!殺しはせず何度でも何度でもという拷問プレイスタイル大好きですね。
    物理で殺せば一瞬。
    しかし精神的にすることで苦痛を与え続けられる。
    良きでした。
    ただ威与は精神的にダメージが通るのか微妙と感じました。
    威与は悔しいという感情はありましたが堕天鬼を前にしても理性を保てていたので流石の風格だなっておもいました。
    最後の桜蘭との掛け合いには胸を締め付けられました。
    桜蘭の立場に立って考えればただでさえ力が至らなかったと悔やんでいるさなか堕天鬼と化した小姫をみて残念に感じていた。もっと違う道があったんじゃないかと後悔するよう。好きです。堕天霊との融合は完全ではないところも大好きです。
    最後の小姫が自我を保てている場面はせめてもの優しさに感じました。
    最後のセリフには思わず号泣しました。
    ほんまにありがとうございました

  • #2

    幻夢界観測所 (月曜日, 08 4月 2024 22:41)

    ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
    やっと鬼たちに反撃できた堕天鬼なのでした、再起不能にまで…。
    流石に威与も里を再興して、これからだという時にまた壊されたら相当ストレスになるんじゃないですかねぇ。
    桜蘭と堕天鬼のやり取りは10年以上前から観測されていたので、やっと公表できて嬉しいです。涙までありがとうございます^^