遥かなる海の海底。太陽の光が僅かにしか届かない場所に、ひっそりと神社が建っていた。神社はドーム状のうっすらと光る結界に覆われており、結界内は視界に困らない程の明るさになっていた。そして中には海水はなく、地上のような空気がある空間になっている。
古句莉は自身の住居である海底神社の結界をするりと抜け、神社に続く石畳みの上に着地する。少し遅れて刃が古句莉の側に降り立つ。二人とも海の中を進んできたが、自身の周りに水を弾く術をかけていたため、髪一本濡れていない状態だった。
「さて、ゆっくりするかー、と言いたいところだが、いろいろ聞かないといけないな」
古句莉は境内を歩き、賽銭箱の上にひょいと腰掛ける。一定間隔を開けて刃がついてくる。
「この七百年のこと、教えろ」
古句莉含め、他の創造神たちも七百年間眠りについていたため、幻夢界で何が起きたか全く知らない。先程、海と空跡宮を往復した時に見た世界の景色は特に変わった様子はなかったが。
刃はこの質問が来ることを予想していたのか、悩むことなくすんなりと言葉を口にする。しかし、古句莉の質問に対する答えではなかった。
「その前に、四柱に何があったのか教えてください。なぜ急に封印状態になったのですか。他の式神たちも何も知らず、幻夢界の維持に必死だったのですよ?」
刃は少し怒りつつも心配するような声色でそう言った。
「あー、あれな。私らにも分からん。守護神から危険信号が飛んできて、なんも分からんまま寝てたんだよ。その守護神に聞こうにも、居場所が把握できなくなってるし。後で調べるしかないな」
「……そうですか」
「これで満足か?だったら私の質問に答えろ」
刃は分からずじまいの解答に肩を落としたが、気持ちを切り替えるために咳ばらいをして報告を始める。
「一番大きな出来事でいえば、堕天霊(だてんりょう)が消滅したことですね。紅葉岳の天神が命懸けで成し遂げました」
「はぁ?マジかよ、堕天霊死んだのか?」
「はい。あれ以来堕落族は大人しくしています。トップが入れ替わってごたごたしていたのでしょう」
予想外過ぎる報告に古句莉は頭を抱える。堕天霊が死んだというのなら、さっきの天狗の力は何だったんだ。
「刃、お前、あの天狗の力に気づいたか?」
「力……。途中から闇属性の力を感じましたが、それくらいしか」
「ほーん」
刃は古句莉の力の一部を宿した式神であり、もともとの祀られる神だった。四柱の式神の中でも一番強く、相手の妖力も敏感に感じ取れるはずだ。その刃が堕落族の力に気づけないとなると、やはりあの天狗の力は本当にわずかな邪気だったのだろう。しかし鋭子も感知しており、古句莉の勘違いではないことは確信できる。まだ力が覚醒していないのだろうか。
古句莉が少し考え込んで黙っていたため、刃が何を企んでいるのだと言いたげな視線をこちらに向けていた。
「あの天狗、堕落族の関係者かもしれん」
軽く刃に情報を伝えると、刃は納得いかなさそうに腕を組む。
「空神もそうおっしゃるのなら間違いないのでしょうが、疑問しかありませんね。あなたの命令通り、あの天狗に奇襲を仕掛けましたが、実力も一般的な獣天狗と変わりませんでした。なぜそのような者が堕落族の力を?」
「さあな。堕天霊の手下かと思えば、堕天霊は死んでるし。放っておくわけにもいかんしなあ」
古句莉は賽銭箱から降り、刃の目の前に立つと、刃は口元を歪めて咄嗟に目を逸らす。古句莉はにんまりと笑って、背の高い刃の肩に手を伸ばしてぽんぽんと叩く。
「調べてきてくれるよな?」
「水茂様は目覚めたばかりですし、情報整理や力の制御も大変でしょう。私がもう少し幻夢界維持の管理を――」
「大丈夫だ!さあ、調査してこい!チュウジツなシモベよ!」
刃は苛立ちで瞳をぎらつかせて刀に手を持っていくが、何とか冷静さを取り戻して諦めの溜息を吐く。
「仰せのままに。……まったく、もうしばらく封印されていればよかったものの」
刃はぶつぶつ文句を言いながらしもべの白蛇を召喚し、命令を叩きこんでいく。
「で、その天狗はどこにいるのですか」
「知らん、自分で探せ」
「クソ邪神め……」
古句莉はもう刃に興味はないと背を向け、神社本殿の中へ消える。背中に刃の物言いたげな視線を感じたが、無視して格子戸を閉じて遮断する。数百年ぶりに浴びる殺意もなかなか良いものだ。
――――――
秋が過ぎ、幻夢界は年明けの冬、初間になった。
刃に呼び出され、古句莉は欠伸をして起き上がる。せっかく気持ちよく鳥居の上で昼寝をしていたのに。下に早く降りてこいとオーラを放っている刃が腕組みをしている。仕方ないと、波に流されるクラゲのように宙を漂って下まで降りる。やる気が出ない時はこれが楽なのだ。
「しょうもない報告だったら胴体真っ二つな」
「例の天狗の件ですが、どうでもいいのなら胴でも首でも好きなところをどうぞ」
「おお、やっとか!」
古句莉はころっと機嫌を取り戻し、食い入るようにそれでと先を促す。
「最初に動きがあったのは終間(年の終わり)です。天狗が苦しそうに闇の、いえ、堕落族の力を纏いながら、ノジア方面へ飛んで行きました」
「ノジア?あんなところに何しに行ったんだ?」
古句莉たち四柱が拠点にしているエスシ地方。その西の海を越えた先にあるのがノジア地方だ。かなり距離があり、一日二日で行ける場所ではないはずだが、飛んで行ったと刃は言った。
「ノジアで何をしていたかは分かりません。さすがに監視の蛇たちもそこまで追えませんので。数日後、いつも通りの天狗と、なぜか朱燕も一緒にエスシの方へ帰ってきました」
「朱燕?非常食か?」
「かもしれませんね」
最弱種族の朱燕まで海を越えてくるとはどうなっているんだ。眠っている間に種族の改変でも起きたのか?と古句莉は首をひねった。
「ここからが肝心なのですが、天狗がノジアから帰ってきてから、紅葉岳の方で動きがありました。ああ、そういえばあの天狗は野老屋の森に住んでましたよ」
紅葉岳というと、天狗種が根城にしている山だ。群れる種族であるため、あの天狗もそこにいるのだろうと思っていたが、紅葉岳南の森にいたらしい。
「初間になって、例の天狗が紅葉岳の天狗に、山の頂上付近まで連れていかれました。そこであの力が出てきました。蛇たちの視界からでも一目瞭然で、ただの闇の力ではないと分かりました」
「……それで?」
「あの天狗の正体は、堕天霊の生まれ変わりです」
神にも及ぶ力を持つ堕落族、そのトップの堕天霊。古句莉たちが封印されている間に消えたというのはぬか喜びだったというのか。堕天霊は再び幻夢界へ降り立っていた。
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ゆがみん (月曜日, 29 4月 2024 01:40)
お疲れ様です。
ゆがみんです。
今回は古句莉様の好奇心が刃を振り回すあたり面白かったです。
読み進めていく上で良い所で区切る。
焦れったい!でも最高です。
話を戻しますが鈴葉はトップの堕天霊の生まれ変わりであれば…実質主人公=ラスボス(黒幕)という感じになるんでしょうか?鈴葉自身がラスボスになる世界線は幻夢界が完全に滅びたあとになるんでしょうか?
主人公がラスボスだったらいいなぁと勝手に妄想しています。
幻夢界観測所 (月曜日, 29 4月 2024 05:30)
ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
全部自分のペースで世界回してしまう神、こんな最強嫌だとみんなが思っています…。
鈴葉がラスボスになってしまうのは幻夢界崩壊ルートの世界線なので、本編で堕天狗として立ちはだかることはないと思われます。
敵やユニライズ視点なら鈴葉がラスボスかも…。