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海神の戯れ7

腹の痛みで思考が飛び、首を絞められて息ができず視界がちらつく。振り払おうと暴れると突き刺さったままの薙刀に肉を抉られるが、苦痛でじっともしていられない。冷静な判断もできず、ただ本能のままにもがいていた時、こちらを見上げるリンと目が合った。青ざめ、泣きそうな、今まで見たことのない必死の形相で氷から脱出しようとしている。
 ――リン様が悲しんでいる。
 時が止まったかのように鈴葉の思考が加速する。昔からいつもリンは自分のために手を尽くしてくれた。悲しまないように、寂しくないように、楽しく過ごせるように。ただの獣天狗の鈴葉を見下すことなく、友達だと受け入れてくれていた。自分が冤罪で紅葉岳を逃げた後、疑いを晴らしてくれていたのもリンだ。リンに助けてもらってばかり。もしここでリンに助けを求めれば、きっと底力や奥の手を使ってリンは氷の拘束を解くだろう。

「……っく!」

 歯を食いしばり、あやふやになっていた意識を繋ぎ止める。リンがいつも頑張ってくれていたのに、その優しさに甘えるのは嫌だ。古句莉の言う通り、最終手段は残っている。
 妖力も削られ、いつのまにか扇も落としてしまっている現状、古句莉から逃れるには風の術では通用しない。肉体での直接攻撃が有効そうだが、特に体を鍛えていない鈴葉の力では古句莉にダメージを与えられないだろう。接近戦にも遠距離戦にも対応できる力、それが最終手段だった。

 鈴葉はとある力のストッパーを解除する。心の奥が重くなるような、黒い力が湧き出てくる。頭上に黒い棘のついた輪が浮かび、翼の先端が赤く発光する。古句莉の隙を突くためにもすぐに攻撃に移った。両手に妖力を集め、闇の力を纏った巨大な鉤爪を生成する。腕を上から後ろに回し、手のひらを合わせるようにしてそこにあった古句莉の頭を潰す。ぐしゃりと頭蓋骨が砕ける感触がし、首を握る力が少し緩んだ。相手に時間を与えず、薙刀の柄を掴み、古句莉ごと振り回すようにして胴体から刃を引き抜く。さらに薙刀を奪い、古句莉の胴体を上下真っ二つに切り裂く。
 古句莉の動きが止まる。鈴葉は慌てて古句莉から距離を取る。解放した力のおかげで体中に妖力が満ち、腹の傷も塞がっていく。一方、頭を失い、身体も切断された古句莉だが、傷口からは一滴も血が流れていなかった。胴体の方は水と同化していたようで、水滴と水滴が合わさるように簡単に元通りになった。しかし頭の方は骨を砕いた感触があったことからも分かるように、確実にダメージを与えていた。傷口は闇の力に焼かれて塞がり、禍々しい煙を上げている。
「あっ、その、ごめんなさ……」

 流石にやりすぎたかと鈴葉は焦ったが、古句莉は痛そうな素振りも見せず。首の状態を確かめるように両手で触っている。目も口も耳もないため、どうなっているか分からないのだろうか。
 突然鈴葉が奪い取った薙刀が消え、古句莉の右手に収まった。古句莉が薙刀を短く持つと、傷口の焼け跡を削り取るようにして自身の首を切り落とす。そこからは大量の血飛沫が上がったが、数秒して古句莉の頭が再生した。

「おお、戻った戻った」
「ひ、ひぇ……」
「いやぁ、流石堕落族の力だ。全てを滅ぼす闇の力。私の再生すら妨げるとはな」

 凄惨な光景を見て怯える鈴葉に、古句莉はただ感心したようにうんうんと頷いている。

「面白くなってきた。さあ、もっと楽しませてくれよ」
「ま、待って!この力は本当に危険なの!もういいでしょ!?」
「安心しろ。その力で私は殺せない。私の肉体を傷つけられたとして、幻夢界のエネルギーがある限り私は不死身だからな。遠慮なくかかってこい」
「そういう問題じゃないんだけれど……うわっ!」

 手加減していた時とは違う、鋭く早い水弾が鈴葉の頬をかすめる。すぐに傷は治るが、殺意の塊のような妖力にぞっとした。古句莉を満足させなければ終わらない状況はまだ続くようだ。
 鈴葉は強い上昇気流を起こし、地面に落ちてしまった扇を宙に吹き上げる。右の鉤爪を解き、自分の手で扇を掴み取る。闇の力に反応した扇は、黒く染まり邪悪な赤い光を放ち始める。体勢が整った鈴葉は妖力を全身に巡らせ、古句莉の出方を窺う。
 古句莉は先ほどと同じ水弾を無数に作り、容赦なく鈴葉へ向けて発射した。鈴葉も圧縮した風の塊に闇の力も付与し、その風弾を古句莉の攻撃へぶつける。闇の力が古句莉の攻撃を消し去るが、その圧倒的な威力と相打ちになり風弾も消滅する。鈴葉の防御を突破した水弾は、左手に纏った闇の鉤爪で切り裂いて対処する。

「見事だ」

 古句莉はそう言い、超速で鈴葉の目の前まで移動してきた。薙刀を振りかざし、頭を割る軌道で腕を降ろす。それも左手の鉤爪で受け止める。全てを消し去る闇の炎と、絶えず古句莉の妖力が送られて形を保っている刃がぶつかり合い拮抗する。両者の視線が交わり、古句莉は楽しそうに笑って見せた。
 この神は何が目的なのだろう。以前戦った時には使えなかった闇の力を、今回は知っているようだった。ただ戦いたいだけなのか、それとも――。

「考え事とは余裕だな」

 我に返ると、周囲に水弾が生成されていた。気づくと同時にそれらは鈴葉へと襲い来る。咄嗟に風を起こす。自分中心に渦を巻く闇の風が全方向に吹き荒れ、水弾を消し飛ばす。その風は古句莉の体も蝕み、皮膚が瘴気に毒されていく。古句莉は全身を水に変え、肉体という枷を捨てる。胴を斬った時のことを思うと、この状態では痛みやダメージを受けないのだろう。水が蝕まれてもその部分を気体に変えて空気中に逃がし、自身の力で水を生み出せば水の体は消滅しない。
 肉体と水の体を自在に操る古句莉に対抗する方法。古句莉にダメージを与えるには肉体という固形物でなければならない。

「固形……」

 鈴葉は上空と眼下の地上を交互に見る。これなら少しは古句莉の意表を突けるかもしれない。

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コメント: 3
  • #1

    ゆがみん (月曜日, 10 6月 2024 08:00)

    お疲れ様です。
    めちゃくちゃばちっててすごいな。
    タイトル通り戯れちゃってますね。
    リン様の絶望した顔にゾワッときたのは伏せておきます。
    いままでもチラチラとは出てきていた堕天鈴葉が今回はガッツリと登場し、戦闘も迫力がありとても緊迫感がある小噺でした。頭が取れた古句莉を見られるとは思いませんでした。最恐は何でもありだなぁと痛感しました。

  • #2

    ゆがみん (月曜日, 10 6月 2024 08:03)

    追記
    首取れた古句莉はデュラハンみたいで面白かった
    堕天鈴葉の背後が見れた
    ありがとうございました

  • #3

    幻夢界観測所 (月曜日, 10 6月 2024 09:57)

    ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
    堕天モードになると物理パワーも上がるので、頭も簡単に叩き潰せちゃいます。創造神じゃなければ死んでました。
    頭がないのにどうやって再生手段を思いついたのでしょう……。
    リンは大人しく見学です。鈴葉によると頑張れば出られそうとのことですが……。