風沙梨は今起きたことが信じられず、身動きができなかった。巨大ガエルを凝視したまま、頭が真っ白になる。
カエルの攻撃も収まり、強い雨が降りしきる音だけがする。賑やかだったエリシアの声が聞こえない。喪失感で胸が苦しくなり、徐々に風沙梨に現実を突きつける。風沙梨は足元がぬかるんでいるのも気にせず、ぺたんと力なく座り込む。鬱陶しかった暑さも感じなくなり、雨の音がやたらと大きく聞こえた。
グォっとカエルが短い鳴き声を上げる。風沙梨の注意がカエルに戻される。エリシアはあの中に……。
『きもちわるーい!!!』
くぐもったエリシアの声。直後、カエルが炎を吹く。天に向かって口を開け、龍のような巨大な火柱が上がる。その開いた口から、ひょいとエリシアが飛び出してきた。唾液や胃液のようなねとねとしたもので濡れている以外、特に外傷はなさそうだ。
「エリシアさん!よかった!!!」
風沙梨がぱっと立ち上がって大声で呼びかける。エリシアは地面を蹴って宙返りしながらカエルの下顎に蹴りを入れ、怯ませてから風沙梨の方へ飛んで来た。
「風沙梨!これ臭い!気持ち悪い!お風呂行こ!!!」
「もう……無事そうで何よりですけど、もうちょっと状況見てください」
風沙梨は安堵と呆れで苦笑いしながら、エリシアの後ろを指さす。カエルは炎で焼かれ、強烈な蹴りを食らいで怒っているようだ。エネルギーを集中させているのか、背中から生えたいくつもの妖鉱石が眩しく光り出す。雨が滝のように激しくなり、カエルの体が薄っすらと光る。そして二人を睨んで水弾を準備し始める。
「治癒術ですね。雨や水に触れている間、あのカエルは再生力が増すようです。雨のせいで攻撃も威力が上がってそうです」
風沙梨が冷静に相手を分析する。エリシアが飲み込まれた衝撃が大きすぎて、カエルへの恐怖が薄まっていた。とはいえ、カエルの脅威は増している。慌てふためかずにいられるようになったが、自分では攻撃を防げないし、回避するのも運がよければといったところだ。聴覚を惑わせて逃げる、同じ手が通用するだろうか。
「とりあえず私が引き付けるわ!接近出来たら殴ったり蹴ったりしてみる!」
エリシアはカエルの気を引くために炎を吐きながら風沙梨から離れる。カエルの視線はエリシアを追いかける。しかし、すぐに風沙梨の方へ戻された。認識されてぎょっとする風沙梨。エリシアもすぐに気づいて、風沙梨を助けようと方向転換する。
動く獲物を狙うカエルだが、相手は魔物。かなり強力な個体だと皐も言っていた。知恵を持つ魔物が、簡単に捕まえられる獲物を見逃すわけがない。
風沙梨は咄嗟に音で相手の意識を逸らそうとする。カエルの背後で騒音を鳴らす。しかしカエルは騙されない。聴覚に干渉しようとしても、風沙梨の妖力を覚えられたのか、抵抗されて能力が効かない。カエルはちらりとエリシアの位置を確認すると、エリシアと風沙梨両方へ向かって水弾を発射した。エリシアの方には牽制として乱雑に大量の水弾を。風沙梨の方には、仕留めるために精度とスピードを重視した一発を。
水弾が発射されたと風沙梨が思った次の瞬間、それは目の前まで迫っていた。避けれない。エリシアの助けも間に合わない。目を閉じる時間さえなかった。
バシャッ!!!!!
風沙梨の目の前で水弾が弾けた。そしてピシッと視界がヒビで埋め尽くされる。身体に痛みはない。弾けた水がかかることもなかった。シールドが張られていたのだ。
「危なかったわね」
落ち着いた女性の声。わけがわからないまま風沙梨が振り返ると、森の奥から長く白い髪の人物が飛んできていた。紺色のワンピースにつばのない帽子、背には白い翼が生えている。雨に濡れた様子のない髪と猫の尾をなびかせ、風沙梨の隣へ彼女が到着した。すぐに翼は光となって消えた。
「あ、亜静さん……」
カエルの魔物を探していたという猫の魔物、飛翔亜静(ひしょう あしず)。亜静の後から先程逃げ出した皐もひょっこりと現れた。二人とも雨に濡れていないのは、皐の術によるものだろう。
「ちょっと、どうして逃げなかったんですか?私ちゃんと忠告しましたよ?」
風沙梨は騒がしい朱燕を無視する。
「亜静さん、ありがとうございました。死にかけました……」
「間に合ってよかったわ。あいつを見つけてくれた礼はこれでいいかしら」
「十分すぎますよ」
亜静は余裕そうな声で話す。それでも金色の瞳はカエルを捕らえ、威圧するように睨みつけていた。カエルは亜静を格上と見たのか、警戒して数歩下がる。
「風沙梨~!よかった!!!」
エリシアが風沙梨に飛びついて来る。
「うっ、エリシアさん、臭い……」
「誰に向かって臭いですって!文句あるなら風呂に入れなさい!」
口では怒ってみせるエリシアだが、風沙梨の無事を喜んで抱き着いたまま飛び跳ねている。亜静という強者が現れたこともあり、風沙梨は緊張が解けて足の力が抜けてしまった。エリシアにもたれかかってしまったが、しっかり支えてくれた。
「で、あの魔物は何なのですか?相当狂暴そうですけど、こんなのこの辺で見たことありませんよ」
皐が亜静に尋ねる。風沙梨も同じ疑問を持っていた。狂暴な魔物がいれば噂になるくらい、野老屋の森は平和な場所のはずだ。
「詳細は分からないけど、多分私のいたところにいるやつよ。私も元は獣型の魔物だったのだけれど、当時のことはあまり覚えてなくてね。でも、野老屋の森や虹の森とは桁違いの魔物がわんさかいたことは覚えてる。だから持ち帰って調べてみたいのよね」
亜静が話しながら、動きかけたカエルを脅すように闇魔法を放つ。黒いエネルギーのレーザーがカエルの進もうとした先の地面を消し飛ばす。
「あのカエルの特徴を教えてくれる?」
亜静に言われ、風沙梨はしっかりしろと己を奮い立たせ、エリシアの支えなしで立つ。まだ戦闘は終わっていないのだ。カエルを視界に入れ、今までのことを思い返す。
「属性は見た目のまま水です。水弾を発射したり、雨で回復力を強化できるみたいです。巨体ながらもかなりの跳躍力を持っています。舌の攻撃が特に素早いです。体から分泌されている粘液が厚く、エリシアさんの炎が効きませんでした」
「なるほど」
亜静は少し考えて唸る。そしてポケットから何か液体の入った試験管を取り出して溜息を吐く。
「爆薬はあまり効果なさそうね」
「森に被害を出すのはやめてください」
「手っ取り早い方が助かるのだけど、残念」
風沙梨は正気を疑うような目で爆発実験大好きな魔猫を見る。亜静は全く気にしていない様子で、面倒くさそうに自分の髪を撫でた。
「まあ、私に考えがあるわ。ちょうどいいエサもいることだし」
亜静はにやりと笑みを浮かべる。その瞳の先には、エリシアからカエルの体内の話を聞いてはしゃいでいる皐がいた。
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ゆがおじ (金曜日, 02 8月 2024 06:14)
亜静って…そらとぶのか…?
いや…たぶんコレも皐の能力で???
風沙梨がこの場での戦力の低さが際立ってて弱いながらもなんとかして切り抜けようとしている場面が好きです。
エリシアは飲み込まれても気持ち悪ぅ…で済むあたりカエル自身の消化能力も低かったんだと感じた。皐に関しては殆どスルーされてて笑いました。
幻夢界観測所 (金曜日, 02 8月 2024 06:30)
ゆがおじさん、コメントありがとうございます!
実は亜静は飛べます。飛ぶ時にだけ翼を顕現させます。
弱い妖力は、相手の妖力で上塗り、抵抗されてしまいますからね。もう不意打ち以外で風沙梨がカエルに攻撃することはほぼ不可能になってしまいました。
カエルの胃液は普通程度ですね。じっくり消化タイプ。短時間ならぬるぬるする程度で済みます。