「それで妖鉱石は全部消えちゃったんだ、残念だったねぇ」
青い着物の獣天狗、師匠こと紅河鈴葉がせんべいを齧りながら言う。あの日から二日後、鈴葉が山から帰ってきたのだ。風沙梨の家にて、ちゃぶ台を囲んで妖鉱石から始まった事件の話をしていた。
「でも、怪我人も森への大きな影響もなくてよかったね!」
「でしょ!私頑張ったのよ!褒めて褒めて」
話を聞き終えた鈴葉に、エリシアが横からぬっと現れる。はいはいとエリシアの頭を撫でる鈴葉と、にへらと表情を緩くするエリシア。鈴葉に会うまで帰らないと風沙梨の家に居座っていた彼女は、お目当ての鈴葉にずっとべったりしている。
そんな二人を眺めながら、風沙梨も新たなせんべいに手を伸ばす。思えば、妖鉱石を取りに少し外に出るだけのつもりが、一歩違えば死への道が開ける出来事だった。鈴葉がいない時にこういった危険に巻き込まれるのは珍しい。いつも危険を察知するとすぐに逃げるからだ。
今回もエリシアがいなければ、風沙梨も皐を追ってすぐに逃げていたところだった。危ない目にも遭ったが、結果的にあの場で退治できてよかったと思っている。亜静が到着する前に暴れられたり、村へ行ってしまう事態を防げたのだ。
「風沙梨もやればできるじゃん。また戦闘訓練する?」
「い、嫌です!ほんとたまたまなんですよ」
イタズラっぽく笑う鈴葉に、風沙梨は全力で首を横に振る。かつて鈴葉に戦闘を教わろうとしたことがあったが、自分向きではないとすぐにやめてしまった風沙梨。師匠呼びはその時のものだ。
「自分でも不思議です。皐さんの強化やエリシアさんのトドメがあったとはいえ、あの時は頭も冴えて、確実に相手をダウンさせる自信のようなものがあったんですよね」
「メンタルの問題だね」
突然現れた四人目の声。鈴葉の隣、エリシアとは反対側の空中に鏡が現れて、鏡面からひょっこりと少女が顔を出す。長い薄茶色の癖毛に紫の瞳、紺色と朱色の軍服のような服装。表情は胡散臭そうににまにま笑っている。エリシアをサルザンからエスシに連れてきた人物、異界送りだ。
風沙梨はあからさまに鬱陶しそうに口元を歪めて異界送りを横目で見る。
「何ですか。勝手に人の家に出現するなと――」
「木霊(風沙梨)は普段弱っちいけど」
異界送りは風沙梨の文句を無視して話始める。
「メンタル次第で弱くも強くもなれる旧型妖怪だ。朱燕(皐)の強化と森の力があればパワーアップできると思い込んで、それが自信、そして普段より自分の能力を引き出せたんだよ」
異界送りのすかした話し方は鼻につくが、言っていることには納得できた。
旧型妖怪とは、両親の性行為以外から生まれる妖怪のことだ。恨みつらみから生まれる悪霊、信仰から生まれる神、妖力によって人工的に生み出された存在などが対象になる。風沙梨も森によって生み出された旧型妖怪の木霊である。
旧型妖怪の特徴として、精神状態が強さに直結するというものがある。強い恨みを持つ者は強力な力を、臆病な性格の者は妖力も弱まってしまう。
「確かにそうかもしれません。役目というプレッシャーが良い方に働いたような」
「ま、普段は戦闘では頼りないへなちょこだけど。毎回それくらい頑張ればいいのに」
「うるさいですね。あなたも大したことないでしょう」
風沙梨と異界送りが互いに煽り合い、視線がぶつかって火花を散らす。
「二人ともまた言い合ってる。相変わらず仲良しだねぇ」
「「仲良くないです!!!」」
鈴葉のちゃちゃ入れに、風沙梨と異界送りが同時に返す。ほら~と鈴葉に笑われるのであった。
「ところで、そろそろエリシアさんを元の国に返してくださいよ。向こうで行方不明とか騒がれてたらどうするんですか」
「大丈夫だよ。女王様の側近に鈴葉さんのところに遊びに行くって言ったら、あっさり了承してもらえたから」
「そういうこと!もうちょっとだけ遊ばせてもらうわ!」
自分の話をされていることに気づいたエリシアが、ぐっと親指を立てて風沙梨にウインクする。そして鈴葉にお馬さんごっこをせがみ始めた。
「せっかくカエルの脅威から解放されて師匠とゆっくりしようと思ったのに、こうも騒がしいと少しも休めないですよ」
風沙梨は大きなため息をついて床に寝転ぶ。窓の外から入り込む眩しい木漏れ日の光に目を細めた。 あの日以来空は晴れており、カエルが空の雨を全てかき集めたおかげで、数日分の雨雲が消費されたらしい。まだ湿間は続くため、一時的な晴れ間かもしれないが、太陽に照らされた鮮やかな森を見ると落ち着く。
騒がしくも平和な空間で、風沙梨はうとうととまどろみに身を委ねた。
――――――
同日、虹の森の小屋にて。
「カエルの研究は終わった?」
明るく長い青色の髪の少女が椅子に座ったまま振り向く。頭に花冠を乗せた少女――虹の森で最も愛されている人物である神宮氷璃(じんぐう ひょうり)は、心配と好奇心の入り混じった表情をしている。
「まあ、ある程度は」
亜静は欠伸を嚙み殺して答える。カエルを倒した後、カエルを解体して研究のためいろいろ持ち帰っていた。食事も睡眠もとらずに、この小屋の地下室で調べ物に徹していたのだ。旧型妖怪である亜静には食事も睡眠もほとんど必要ないのだが、少し熱を入れ過ぎて疲れていた。
亜静は氷璃の向かい側の椅子に座る。氷璃がテーブルに置かれたポットを取り、コップにハーブティーを注いでくれる。しっかりと水の妖鉱石で冷やされている。コップを受け取り、数口喉に流し込んで長く息を吐きだす。
「で、どうだったの?」
「予想通り、虹の森の魔物じゃないわ。頭から手足の先まで、高濃度の魔力で満たされていた。普段から妖鉱石、もしかすると妖鉱結晶まで食べているかも。私の知る限り、この辺りで自然生成される妖鉱石では補えない量の魔力よ」
「妖鉱結晶って、特殊能力を宿した妖鉱石よね?人生で目にすることができたらラッキーってほど貴重っていう」
亜静は頷く。妖鉱石や他の魔物が持つ魔力を食い物にし、自分の魔力を高める。そんな存在が虹の森にいれば、大勢の被害者が出て問題になるはずだ。虹の森の顔とも言える氷璃に情報が集まるはずなのだ。
「私と同郷の魔物かも。おそらく、虹の森の東側、毒ガス地帯の向こう側よ」
毒ガス地帯。神であろうと幽霊であろうと、肉体も精神も魂までも蝕む有色の毒に覆われている場所。幻夢界には毒ガス地帯が多くあり、虹の森の東西はこの毒ガスに覆われている。毒ガスを少し吸い込むだけで、強力な妖怪ですら死んでしまう威力だ。
毒ガス地帯は期間や周期は不明だが、稀に薄れたり移動することがある。それにより分断されていた場所が繋がったり、近くの地域が毒ガスに飲み込まれることがある。
亜静はかつて獣型の魔物であり、カエルと同じように妖鉱石や倒した魔物から力を得ていた。人型になり、知能もつけた後、知見を広めるためにと旅をしていたのだが、気がつくと虹の森にいて、元居た森には帰れなくなっていた。おそらく虹の森東の毒ガス地帯が薄れた日に、偶然虹の森側へ来てしまったのだ。あのカエルも同じかもしれないと亜静は考えていた。
「記憶が曖昧なのだけれど、向こう側の森にはカエルみたいに強い魔物がごろごろといたような気がするの。血と魔力に飢えた恐ろしい奴らよ」
「そう……。でも、カエルと戦ってる時もそのことはなんとなく分かってたのよね?亜静にびびってたらしいし、わざわざあの子たちを危ない目に遭わせずとも、あなたが倒しちゃえばよかったじゃない。できたくせに」
氷璃の赤い瞳に見つめられる。少し悪戯っぽい言い方で見透かされたような気がし、亜静は耳を寝かせてハーブティーを一口飲む。
「満月前に暴れたくないから……」
「ちょっと昂るだけじゃないの。そこまでのリスクにならないし、万が一暴れそうになったらいつも通り私が何とかするわよ。分かってるでしょ?」
言い訳が通じず、亜静はむすっとして尻尾を横に振る。
亜静が自ら戦わず、風沙梨たちに指示だけしていたのは、満月だけが原因ではない。一人では苦戦しただろうが、エリシアもいれば容易に倒せたはずだった。
「その……。なんだかあのカエルを見ていると、魔物時代のことをいろいろ思い出しそうになったのよ。狂暴な思考とか、獣の本能的な部分が湧き上がってくる感じ。そんな状態で暴れたくなかったのよ。それと満月前ってのも重なって、ちょっと怖いでしょ?」
「なるほど、そういうことだったのね……」
亜静は月の魔力が高い日、特に月食の日に理性を失い、ただ魔力を求めて暴れてしまう特性がある。月の魔力が高まる満月に怯えるのも、特性による暴走状態に陥りたくないからである。さらに旧型妖怪の亜静は、興奮や月による昂りで精神が乱れ、狂暴になりやすい一面もある。
カエルとの接触は心情、特性、月の周期と、亜静にとって悪い状況が合わさってしまったのだ。最低限のサポート役に回り、風沙梨たちに戦わせたのはそのためだった。
「それは仕方ないわね。新型の私にはわかりにくい感覚だし、賢いあなたが取った行動だもの。きっと最善だったのよね。全員無事で解決したみたいでよかったわ」
氷璃はふふっと表情を緩める。亜静を強く信頼した言葉に嘘はない。亜静はむず痒くなってそっぽを向く。
「東の向こう側の森ね……。危険地帯ならこれ以上毒ガスが晴れないことを祈るけど、ちょっと気になるわね。どんな場所なのかしら」
氷璃の独り言に亜静の耳がぴくりと動き、逸らした顔をすぐに正面に戻した。
「カエルの体内に残ってた土や消化されなかった植物からいろいろ予測できるわ。聞きたい?」
「……難しそうだし長くなりそうだから遠慮するわ」
「知っておいて損はないわよ。まず向こうの環境だけど――」
「も~~~!聞かないってば!専門用語やめて!分かる言葉で話して!」
数時間に及ぶ亜静の魔物講座が始まり、氷璃は襲い来る眠気と戦うことになった。
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ゆがみん (水曜日, 04 9月 2024 04:37)
最終回お疲れ様です。
戦いを終え、お疲れ様会、一気に平和な日常へ戻り安堵って感じです。
中でもお気に入りは
風沙梨と異界送りが互いに煽り合い、視線がぶつかって火花を散らす。
「二人ともまた言い合ってる。相変わらず仲良しだねぇ」
「「仲良くないです!!!」」
鈴葉のちゃちゃ入れに、風沙梨と異界送りが同時に返す。ほら~と鈴葉に笑われるのであった。
ここの嫌い嫌い同士の掛け合い大好きでした(もっとやれ!)
エリシアも頑固でわがまま所も可愛かったです。
鈴葉に会うまで帰らないってのが…
なんというかロリでしたね
虹の森の小屋での会話は尊いでした
氷璃はふふっと表情を緩める。亜静を強く信頼した言葉に嘘はない。亜静はむず痒くなってそっぽを向く。
ここの亜静かわいい。
「カエルの体内に残ってた土や消化されなかった植物からいろいろ予測できるわ。聞きたい?」
「……難しそうだし長くなりそうだから遠慮するわ」
「知っておいて損はないわよ。まず向こうの環境だけど――」
「も~~~!聞かないってば!専門用語やめて!分かる言葉で話して!」
数時間に及ぶ亜静の魔物講座が始まり、氷璃は襲い来る眠気と戦うことになった。
氷璃の勘弁してー!の反面仕方無しに付き合ってあげるの優しくてるのよすぎた。
幻夢界観測所 (月曜日, 09 9月 2024 00:53)
ゆがみんさん、コメントありがとうございます!
風沙梨と異界送りがどれだけ嫌味を言い合ってても、仲良しで解決してしまう鈴葉さん。喧嘩するほど仲がいいみたいに思っているのかもしれません。
エリシアは終始わがまま全開でした。女王様は平常運転です。
氷璃は普段なら笑顔で講座に付き合いますが、親しいからこその嫌々っぷりです。尊いですね^^