朝日が昇るとともに一日が始まるように、薄暗い地下では太陽のかわりに苦痛による起床が一日の始まりであった。狭い部屋にはベッドと木の椅子とテーブルだけで窓はなく、床と壁は一面冷たいコンクリートに覆われている。扉のある一面は壁ではなく、鉄格子である。そう、ここは牢屋だ。
朝になると首につけられた枷のような装置によって、体内の妖力を限界まで吸収される。妖力の枯渇で眩暈がし、足がふらつく。他の牢獄からも苦痛の悲鳴や嗚咽が聞こえてくる。
「くそっ!なんで俺が!」
筋骨隆々の歴戦の戦士風の中年男は、怒りを吐き捨てて鉄格子にもたれかかる。男は王国騎士団に所属していた元エリートであったが、近年は辺境の警備に回され、プライドを傷つけられてイラついていた。そして三日前、記憶を弄られたせいであやふやだが、何らかの組織に捕まってこの牢屋にぶち込まれたのだ。
みじめな自分が許せない男は格子を掴んで外を睨みつける。簡単にへし折れそうな細い鉄格子だが、妖力が限界まで吸い取られた体では曲げることすらできない。男が睨む通路に、こつこつとヒールで床を踏みつける音が近づいて来る。その人物に対して、男のように反抗心が残っている牢屋から罵詈雑言が放たれる。足音はそんな囚人たちの声は聞こえないとばかりに、迷いなくこちらへ向かってくる。
男はそいつに不意打ちを食らわせてやろうとタイミングを計る。そして相手の姿――小柄な少女の手先が見えた瞬間、折から腕を出して少女の手首を掴んだ。
「おっと」
掴んだはずだったが、少女は自由なままの手を後ろに回し、揶揄うような笑顔でこちらを覗いてきた。
「まったく、こいつら全然調教できてないじゃん。ここにいる時くらい能力使わせないでよね」
何の話をしているのか分からないが、相手は男の想像していたいつもの少女ではなかった。いつもは白い髪に暗い赤色の服を着た、無表情な糸使いの少女だったが、目の前の少女は薄い水色の髪に黒と赤の服を着ている。男が掴み損ねた手の反対側に、大きな時計を持っていた。背丈格好は似ているが、初めて見る相手だ。
すると、少女の来た方向からもう一つ足音がやって来た。先程より牢屋の怒鳴り声が大きくなる。
「おーい、こいつじゃない?左遷された王国騎士」
男はその言葉を聞いて頭に血が上る。俺が左遷だと?違う、俺はエリートだ!今にでも王都に戻ってやるさ!
男が一人熱くなっているところに、もう一人の足音が到着する。その相手を見て男ははっとし、憎しみを増大させて小さな少女たちを睨む。白髪の赤い服の少女だ。自分を捕らえ、毎日脳を支配するような術を仕掛けてくる相手。
「ええ、彼です。元エリートというだけあって、精神もなかなかに図太いようですね。あなた一人で連行……は無理ですね」
「無理無理!このおじさん乱暴そうだし、あたしじゃ腕へし折られて返り討ちにされちゃうよ~」
水色の髪の少女はわざとらしく男が掴み損ねた手首を指さし、べーっと舌を出した。おちょくられている。
「では私も付き添いましょう。王国騎士さん、あなたの朝食は尋問の後です」
白髪の少女の指先から赤い糸が出現する。あれに捕まると体の制御が効かなくなる。男は抵抗しようと後ろに跳ぶが、妖力不足で足に力が入らず、無様に後ろ向きに倒れてしまった。右腕に赤い糸が巻き付く。解こうと左手を伸ばすが、すぐに意識が途絶えた。
――――――
ノジア大陸東部、北側の森林エリア。周囲に街も整備された道もなく、魔物が彷徨うくらいしか人通りのない森の奥深く。そこに小さな研究所が建っていた。建物は壁が崩れかけ、周囲は森の植物に飲み込まれかけている。
完全に廃墟となった建物。その瓦礫に腰かけている少女がいた。癖毛の薄い茶髪に、紺と朱の軍服のような格好。手に持ったアルミ缶の酒をぐびぐび飲んではその辺に投げ捨て、傍に置いていた巨大な鏡に手を突っ込んでおかわりを取り出す。
「おっはよーって、また飲んでるし。朝なんですけどー」
薄水色の髪の少女、時空渡りは呆れた様子で相棒の異界送りを見る。異界送りは新しい缶のプルタブをこしゅっと開け、中身を喉に流し込む。
「朝も夜も別に関係ないだろ。せっかく人が酔いを楽しんでるのに何さ」
「それがさー王国騎士の奴隷見つけたんだよ。命手繰りと一緒に尋問して、仲間の居場所吐いてもらったから、これから人員集めだって」
時空渡りは上機嫌に言うが、異界送りは面倒くさそうに溜息を吐いた。
「もう十分人手は足りてるだろ」
「でも、王国騎士だよ?たんまり妖力持ってるだろうし、奪えるだけ奪って損はないよ。カミ様もお喜びになるよ」
「おい、あのなぁ……」
異界送りは何か言おうとしたが、時空渡りの後ろの扉が開くのを見て口をつぐんだ。ボロ廃墟の扉から白髪の少女、命手繰りが出てきたのだ。
「時空渡りから話は聞いてますねって、あなたってやつは……」
異界送り周辺に転がる空き缶を見て、命手繰りは怒ったようにじろりと異界送りに視線を送る。異界送りはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向き、時空渡りに声をかける。
「こいつの小言を聞くのはこりごりだ。酔い覚めるくらいまで時間戻して」
「え~~~、あたしまたあの牢獄行かなきゃじゃん。めんどくさーい」
「酔い覚めたらここまで飛ばしていいから」
「チョコ奢りね」
時空渡りの能力により、時は命手繰りが扉から出てくる前まで戻る。命手繰りが扉を開けた時には、異界送りから酒は完全に抜けていて、足元の空き缶も跡形もなく消えていた。
「人攫いだろ。さっさと済まそう」
「話が早くて助かります」
鏡であらゆる場所、異世界にまでも移動することができる異界送り。時計で過去にも未来にも自由に行き来できる時空渡り。糸を繋げた相手を自在に操ることができる命手繰り。三体の操り人形と大勢の奴隷たち、そして組織のトップのカミと呼ばれる存在。
水面下で動く組織、ユニライズはノジアの秘境を拠点とし、幻夢界各地に支配の糸を張り巡らせていた。
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