「カミ様からの命令です。私を並行世界に連れて行きなさい」
命手繰りの要求に、異界送りは少しぽかんとする。言葉の意味を理解すると、はぁ?と口を歪めて不快感を示してきた。
「お前何言ってんの?」
「連れて行けと言っています」
「それは分かってるっての!お前は裏方担当だろうが!どうして連れて行かなきゃいけないんだよ」
異界送りは鏡から身を乗り出し、噛みつかんばかりの勢いで文句を言う。
二人は顔を合わすたびに言い争いになるくらい相性が悪い。面倒くさいなと命手繰りは一瞬目を閉じ、説得のために思考を切り替える。
「随分と並行世界の選別に苦戦しているようじゃないですか。なぜ紅河鈴葉が死ぬのか、幻夢界はなぜ滅びの運命を振り払えないのか。私の視点でも見てこいとの命令です」
「何度も繰り返してるボクらでも見つけられないのに、知識だけのお前に何ができるってんだ。だいだい、向こうのお前はどうするんだよ」
向こうの――並行世界にいる命手繰りのことだ。どの世界線にも四柱や堕落族、紅河鈴葉がいるように、カミや命手繰りも並行世界には別個体が存在している。例外的に異界送りと時空渡りのみ、どの世界線にも時間軸にも、一人しか存在しないという特殊な存在だった。つまり命手繰りが並行世界に行けば、一時的にだがその世界には命手繰りが二人存在することになる。
「慣れていないからこそ見つけれられる見落としもあるかもしれません。私にはあなたたちが持っていない知識もありますし。向こうの存在のことも問題ありません。こちらを預かっています」
命手繰りはUSBを取り出す。
「向こうのカミ様にこれを渡せば、こちらのカミ様の意図は伝わります」
「ぐっ……じゃあ、死んだらどうする?ボクは時空渡りに時止めで危険を回避できるけど、そっちの面倒まで見るのは勘弁だぞ。瞬間移動もできないお前じゃ足手まといだ」
異界送りは余程命手繰りを連れて行きたくないようで、重箱の隅をつつくように言い訳を探している。
「私が死んだら、そちらの都合で戻していただいて構いません。私へのサポートは最低限で結構です」
「あっそ。その自信がどこまで続くか見物だな」
「自信ではなく、ただ命令に従うまでです。あなたもずべこべ言わずに従いなさい」
「こいつマジうるせぇ……」
拳を握りしめて怒りを抑える異界送り。このままではいつも通り言い争いになると、命手繰りは強引に話を進める。
「一番可能性の高い世界線、紅河鈴葉が生き残りそうなところをお願いします」
「ったく。時期は?」
「崩壊前ならいつでも。おまかせします」
異界送りは溜息を吐いて鏡のサイズを大きくする。鏡は身長より大きくなり、中にいる異界送りの足元まで見えるようになった。異界送りの後ろから時空渡りもこちらを覗き、やっほーと手を振っている。
命手繰りは世界を繋ぐゲートとなっている鏡の中に入った。水中に入ったように視界が歪んだ後、青々とした森が瞳に映り込む。じっとりした暑さ、夏手前の季節だろう。
「ここは?」
「並行世界G-S1-1019。紅河鈴葉が聖都にて自害する世界線。時間は紅河鈴葉が堕天鬼と接触して数日といったところ。今いる場所はノーブルパレス近くの遺跡森」
その後も異界送りの世界の説明が続く。大まかな紅河鈴葉の行動の流れを聞き、周辺人物の情報も詰め込む。
「ここの紅河鈴葉は前世、堕天霊の魂に抗えずに自害を選ぶ。堕天鬼と接触後、堕落族が動き始めるはずだ。この辺りから未来を変える要素が大きくなっていくと思う」
「なるほど、理解しました」
「で、どうするつもりなのさ?」
異界送りがじろりとした視線を向けてくる。
「とりあえず、この辺りで手足になる者を捕らえてきます。そちらはまずカミ様にUSBを届けてください。その後は好きなように行動してくれて構いません。私への様子見は十五分毎くらいでいいですよ」
命手繰りの返答に、二人は顔を見合わせる。
「本当に十五分でいいの?何回死んでも知らないよ?」
時空渡りが煽るように言うが、命手繰りは首を縦に振る。
「私はあなたたちと違って、時間を巻き戻せばやり直しのきく存在です。死んでいたら手の空いた時に蘇らせて助言をいただければ十分です」
「何考えてるのかさっぱりだね~。まあ、気づいたら生き返らせてあげるよ。じゃ、頑張ってね~」
時空渡りはそう言うと、異界送りと共に鏡の中に入ってどこかへ消えて行った。鏡も消え、遺跡森には命手繰り一人となる。
命手繰りは近くに生えた木にもたれ、とある通信を待つ。命手繰りが並行世界に向かった目的の八割がこの通信を成功させることだった。五分もしないうちに、命手繰りの頭の中に信号が送られて来た。この世界のカミからだ。
『向こうの命手繰りか?』
『はい。データの方は見ていただけましたか?』
声に出さず、思考そのままをカミに伝える。多めに妖力を使用するが、カミと秘密裏に通信する手段として命手繰りに実装されている機能である。
『そちらの私は優秀なようだな。なかなか面白いものだった』
『では、ここの命手繰りのアップデートもよろしくお願いします』
その後少しの会話をした後、カミとの通信を終える。一分程度の通話であったが、命手繰りは妖力の消費でだるさを感じた。
カミとの計画。それは並行世界間での記憶の共有だ。異界送りと時空渡りはあらゆる世界線、時間軸で別個体が存在しない。Aの世界線に二人がいれば、Bの世界線には二人は存在しない。過去に戻っても、過去の二人と遭遇することはない。つまり、異界送りと時空渡りは全ての世界線、時間軸の記憶を持っている。
一方、カミと命手繰りは世界線それぞれに一人存在する。今いる並行世界に命手繰りは二人存在するし、時空渡りと共に数秒前に戻れば、数秒前の命手繰りと遭遇する。時空渡りだけで過去に戻れば、戻った分命手繰りの記憶も失われる。その世界線、時間軸での記憶しか保持できないのだ。
命手繰りの瞳には常時録画機能が備わっている。そのデータはユニライズ基地に送られ、カミに全て伝えることができる。異界送りと時空渡りには知らされていない機能だ。元の世界でカミの部屋に行った時、命手繰りにさらなるアップデートが加えられた。それが映像データを別の世界線と共有する機能だ。すでに元の世界とこの並行世界では、両世界のカミがそれぞれ相手の映像データを調べているだろう。
これらのことは異界送りと時空渡りには秘密にしなければならない。カミからの命令だ。アップデートの情報が入ったUSBを並行世界に持ってこれるのは、今回限りだ。他の並行世界への共有はできないため、一番上手く行っている世界線を訪れた。
時間を巻き戻して、最初と違う行動を取れば、巻き戻した世界線と巻き戻さなかった世界線ができる。並行世界が並行世界を生み、行動一つで世界は無数に広がる。異界送りと時空渡りが元の世界線と、この世界線で能力を使うたび、アップデート命手繰りがデータ収集する世界線は増えていくのだ。
(あなたたちを信用していないということではありませんが、私たちが持っていない情報を持っているというのは、味方ながら脅威でもあるのですよ)
時を戻した時空渡りに聞かれないよう、声に出さずそう呟いた。
「さて、そろそろ何か捕まえましょうか」
この世界に来た目的を誤魔化すために、紅河鈴葉を生かす方法を探しつつ、一つでも多くの情報をカミへ送ること。それがこれからの任務だ。命手繰りの糸で操れる雑魚妖怪を探そうと、木から背を離して周囲を探る。襲われたときに囮にする何か。魔物でも何でもいいので、生命の気配を求めて森を歩き始めた。
しかし、すぐに足を止めて思わず息をのむ。前方から強烈な妖力――禍々しく邪悪な力を感知した。到底敵う相手ではない。殺されたところで時空渡りが時を戻すのを待てばいいのだが、少しでもこの世界のデータを収集したい。
命手繰りは辺りを見回す。左手側に遺跡森の瓦礫となった建物跡がある。気配を殺してそちらへ向かい、瓦礫の影に身を潜める。命手繰りが相手に気づいたのだ、強力な相手がこちらに気づかないはずもなく、獲物を見つけたとばかりに瓦礫の方へ進路を変える。
恐怖は感じない。駒がない状態でどう抗うか、思考をフル回転させる。交渉か、騙すか、なんとか時間を稼ぐか……。
少し離れた茂みのすぐ向こうまで禍々しい気配が近づいてきた。嫌な予感がする。生物的な本能があれば恐怖で我を失ってしまうような圧倒的存在。操り人形の命手繰りにそのような本能は備わっていないが、悪い状況だということは嫌でも分かる。
ついに相手の姿が見えた。薄暗い森で不気味に光る棘のついた輪を頭上に浮かべた人物。
「堕落族……」
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