· 

マリオネットの手繰る未来5

 命手繰りと相手の視線が交わる。額に一角を持ち、長身の修道女の服を着た赤い髪の堕落族。物珍しそうに命手繰りを眺める紅い瞳、背のズタズタの翼、巨大な十字のような剣を鎖で腰ベルトに繋ぎ、地面にずるずると引きずっているのが目立つ。堕天馬と呼ばれる個体だ。

「こんにちは、お嬢さん」

 堕落族がにこりと微笑む。優しさなど微塵も感じられない、貼り付けたような胡散臭い笑みだ。

「なぜこいつが地上に……」

 命手繰りはぼそりと独り言を零す。この堕落族は普段は地獄にいるはず。聖都崩壊事件という幻夢界崩壊の危機に瀕するまで、地上に出てくるデータはなかった。呟きは堕天馬に聞こえていたようで、ほうと面白そうに目を細める。

「ボクのこと知ってるんだ?普段は地上にいないってことまで。物知りなんだねぇ~」

 命手繰りは答えずに堕天馬を観察し続ける。殺意よりもこちらへの好奇心が上回っているのか、すぐに攻撃してくる素振りはない。
 命手繰りが何も答えないでいると、堕天馬はさらに言葉を続けた。

「ふぅん。君は他の奴らとは違うんだね。みんなボクのことを見ると恐怖でおかしくなるのに、君の感情は空っぽだ。食べ応えがなさそうだなぁ」

 期待外れだと首を横に振る堕天馬。操り人形の命手繰りは感情が薄く、負の感情を食する堕天馬には退屈な存在だったのだろう。

「私はただの人形ですので。あなたたちの望むものは持ってませんよ」

 それではと頭を下げ、命手繰りはこの場を去ろうと堕天馬から数歩距離を取る。堕天馬は黙ったまま薄っすら笑みを浮かべ、命手繰りをじろじろ観察するのみ。引き止められないのをいいことに、命手繰りは堕天馬に背を向けてすたすたと歩き出す。視線から逃れるため、瓦礫が遮蔽物となる方向へ進む。
 堕天馬から十メートルほど離れ、本当に追って来ないのかと不思議に思っていると、背後からじゃらりと鎖の音が聞こえた。

「ボクの望むもの、君は持ってるよ」

 離れた場所から堕天馬が声を張って言う。直後、瓦礫が砕かれた唸りが響き、命手繰りの斜め前の地に、鎖が外された十字型の剣が突き刺さる。立ち止まる命手繰りの背後に、ゆったりとした足取りで堕天馬がやってくる。

「ボクの情報、どこで仕入れた?」
「堕落族のことなんて、少し調べれば簡単に情報が出てきますよ。有名なんですから」
「ははは、有名人か。困ったなぁ、いつから有名になってたのやら」

 堕天馬の纏う空気が変わった。堕落族が発する明確な敵意に、辺りが凍ったように静かになる。堕天馬は命手繰りの左肩に手を置き、後ろから覗き込むように体を斜めに倒す。

「ボクが普段地上にいないことを知ってるのは、直接ボクを見ているやつか、堕落族しかいないんだよ。一体どこで調べられたのかなぁ」

 肩の骨がみしみしと音を立てる。操り人形の命手繰りにも痛覚はある。痛みに顔を少ししかめ、にたりと笑う堕天馬の目を睨む。
「一つ提案があるのですが」
「何だい?」

 二人の視線がぶつかり合ったままの会話。堕天馬の機嫌を損ねさせると終わりの賭け。命手繰りは頭をフル回転させて考えをまとめる。おそらく今まで異界送りと時空渡りが試さなかったであろう選択を、命手繰りだからできる手段で試す。

「正直に話します。私は堕落族と敵対する組織の者です。あなたたちを滅ぼす目的があります。そのために、いろいろ堕天馬さんのことも調べさせてもらったのです」
「おお、ボクらを滅ぼす?そりゃ恐ろしいね。で、どんな提案だい?情報は秘密にするから見逃してくれとか?」

 堕天馬はくっくっと噴き出すのを堪えるように笑う。命手繰りは表情も声色も変えずに続ける。

「堕落族と敵対するのと同時に、四柱も邪魔に思っています」
「ほう?」
「手を組みませんか?四柱を滅ぼすために。組織と他の堕落族は関係ない、私とあなた二人だけの協力関係です」

 堕天馬は少し考えるように目を細める。命手繰りは祈るわけでもなく、相手の答えに合わせての次の行動を何パターンか組み上げる。

「本当に君は面白いねぇ。人形とはいえ、生きてるくせに魂がないみたいだ」

 イエスともノーとも言わず、堕天馬は肩を掴む手の力を強める。命手繰りの骨が砕ける音がする。そのまま指を肉に食い込ませ、簡単に左腕を胴体から引きちぎる。猛烈な痛みが命手繰りに襲い掛かり、傷口からどばどばと鮮血が溢れる。

「何を?」

 そんな状況でも命手繰りは抑揚のない問いを投げる。痛みによって表情が少し険しくなっているが、赤と青の瞳には恐怖も絶望も映らない。
 堕天馬は満足気に笑う。微笑みから声を出した笑いに、仕舞いには天を仰いで大笑いするまでに至る。命手繰りの血が滴る片腕を持ちながら高笑いするその姿は実に狂気的であった。

「君自身には感情はないが、君の目的には大きな希望が見える。何百、何千年もの執着が。
 いいだろう。ボクは希望を食らうのが好きなんだ。四柱を潰すために協力してその希望がより大きくなるなら、個人的に手を貸そうじゃないか」

 堕天馬は腕を差し出す。自分の腕ではなく、引きちぎった命手繰りの腕を。握手のつもりなのか、腕を返すつもりなのか判断がつかない。悪趣味な性格だなと分析するように思いながら、命手繰りは右手で自分の左手の甲を掴んだ。