「おいおい、あいつ何やってるんだよ」
異界送りが鏡の中を見つめて呆れた声を出す。鏡には堕天馬と交渉中の命手繰りの姿が映されている。
「別にいいんじゃない?このパターンは今までやったことなかったし。まずは命手繰りに全部やらせて結末を見て、その後でアタシたちも干渉しようよ」
異界送りとは対照的に、楽しそうに鏡を覗き込む時空渡り。
二人は約束通りに命手繰りの様子を見にきたのだが、堕落族と接触しているのは予想外であった。巻き戻して助けようとも思ったが、命手繰りは手を組もうなどと言い出す始末。何を考えているのかさっぱりだ。
「堕落族の狙いは幻夢界の崩壊か、紅河鈴葉を堕落族側へ引き込むことだぞ。手を組んだところで障害にしかならないじゃないか」
「まあ、いつか裏切るつもりでしょうよ。どっちも。でもどうやって聖都崩壊を乗り切るつもりだろうね。案外何も考えてなかったりして」
けらけらと笑う時空渡りを、異界送りはじろりと睨む。
異界送りにとって命手繰りは気に入らない相手だった。そいつがたった一回並行世界に踏み入っただけで、大きく運命が変わる――自分たちが途方もない回数を持ってして見つけられなかった未来への道が出現することが、内心悔しかった。
「あーーー、むかつく!絶対成果出せよな!」
これは任務、カミの意志だと自分に言い聞かせ、異界送りは頭のもやもやを吹き飛ばし、画面替わりの鏡に視線を戻した。
――――――
「全く……なぜ手を組む相手の腕をもぎ取るのですか」
「キミが信用できるか確かめるためさ。この程度で怯えたりブチギレたりするやつは信用できない。キミは合格だよ」
「信用の基準が理解できませんね」
命手繰りは愚痴りながら右手で千切られた左腕を持ち、元の位置にはめようと持っていく。傷口は骨と肉ではなく、プラスチックのような球体関節に、皮膚代わりの人工樹皮が被せられた、まさに人形という見た目に変化していた。骨を握りつぶされた時に関節も壊されたのだが、運良く落ちていた然の妖鉱石(治癒の力がある)で修復できた。
「便利な体だね〜。こんなの壊し放題じゃん」
堕天馬がまじまじと人形化した命手繰りの体を眺める。
「修理費は高くつきますよ」
「闇の妖鉱石でよければいくらでもくれてやるさ」
その後も堕天馬が物騒な妄想を語っている間に、命手繰りは元通りに取り付けた左腕の感触を確かめる。指先まで問題なく動かせることを確認すると、人形化を解いて生物のような自然な肉体へと戻る。
腕と一緒に引きちぎられた袖までは元に戻せなかったため、異界送りにこっそり合図を送って新しいものを持って来させた。堕天馬にどこから持ってきたのか突っ込まれたが、後で説明すると黙らせた。
「どこか話せる場所は……」
命手繰りがどうしようかと周りを見渡すと、堕天馬が森の奥を指差す。最初に堕天馬が来た方向だ。
「あっちに廃墟があったよ。ボロボロだけど、一応部屋と呼べる場所が残っていた」
「ではそこでいろいろ話しましょう」
堕天馬の後について廃墟へ向かう。
その道中、堕天馬は振り返ることもなく、無警戒に進んでいく。命手繰り程度の強さの相手を警戒する必要もないのだろう。互いに警戒すべきは情報だ。何をどこまで話し、相手の話をどれだけ信じるか。
命手繰りはもちろん堕天馬に全てを明かすつもりはない。都合よく相手を動かせる情報を流し、最終的には切り捨てるつもりだ。それは堕天馬も同じだろう。どちらが相手の読みを上回るかの勝負になる。
「ここだよ」
低木と瓦礫が密集した場所を超えると、堕天馬は立ち止まった。石造の砦跡のような場所だ。確かに他の建物だったものより綺麗に形を保っている。
「ここを住処にしている者はいませんか?」
「こんなボロい建物に住む変わり者はここにはいないだろうさ。みんな都に行くよ」
「遺跡森に都?聖都のことですか?」
「遺跡森?ああ、たしかにこの廃墟たち、遺跡っぽいね」
どうも話が噛み合わない。命手繰りは異界送りから聞いたこの世界の情報を思い出す。その間も堕天馬は言葉を続ける。
「命炎(めいえん)の都。あの忌々しい鳳凰が王様気取りしてる場所だよ。弱い者、居場所のない者、全てを受け入れるとか。ふんっ、笑えるよね。この命火(いのちび)の森もあいつの支配域だけど、廃墟として堕落族の爪痕はまだ残ってるみたいだね」
命手繰りはなるほどと納得する。元いた世界では、大昔に起こった鳳凰と堕落族の争いで、堕落族が勝利したときに都市が破壊された。建物の残骸だらけの森は遺跡森と呼ばれるようになった。この世界線は鳳凰が戦いに勝利し、都市が残ったままなのだろう。今いる森は戦争の前線で瓦礫が残っているようだ。気がつかなかった。
元いた世界と歴史がかなり違う。異界送りからは紅河鈴葉周りのことしか聞いていなかったが、これで幻夢界自体の違いが命手繰りの中で整理できた。ユニライズの拠点にある報告書で、似たような歴史の幻夢界を見たことがあったのだ。
「中に人がいないのならここにしましょう」
命手繰りは意識を砦跡に戻す。ツル植物や苔に浸食されかけたグレーの建物。堕天馬が崩れて入り口のようになった場所から中へ入っていく。少し距離を開けて命手繰りも続く。
中は照明などあるはずもなく、薄暗く冷たい雰囲気がする。ひび割れた壁の隙間と飾り気のない穴のような窓から、外の光を取り込んで視界が保たれている。
堕天馬は通路を進みながらいくつか部屋を覗いて歩き、扉のついた部屋を覗くと命手繰りの方を向いて手招きする。
「ここにしよう。椅子がある」
「椅子って……瓦礫じゃないですか」
部屋は天井が崩れており、床にその残骸が散らばっている。部屋唯一の家具のベッドも瓦礫に潰されており、真ん中でくの字に折れている。
堕天馬はそんなベッドの上に乗り、ちょうどいい高低を見つけて器用に座る。命手繰りは立ったままでいいと告げる。
「じゃあさっそくいろいろ聞かせてもらおうか。あ、その前に一応」
堕天馬が右手を前に伸ばし、横へスライドさせる。そこに黒い霊魂のようなものが三つ現れた。堕落族の手下の怨霊だ。頭のような箇所に、堕落族のシンボルともいえる棘のついた黒い輪が浮かんでいる。危害を加えられたわけではないが、怨霊の放つ負のエネルギーに命手繰りの体が不快感を覚えた。三体の怨霊はそれぞれ部屋の扉、窓、天井の外へふよふよと飛んで行った。見張りだろう。
これでゆっくり話せると堕天馬がこちらを向く。命手繰りは頷き、自らの正体について話し始めた。
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