手足を炎で拘束された堕天馬は、手下の怨霊が煌希の邪魔をしているのを後目に確認し、安心したようにほっと表情を緩めた。
「随分と余裕そうね」
堕天馬を拘束している炎神、稀炎が少し不満気な表情で言う。手足を焼かれながらも、全く苦痛の表情を見せずに堕天馬は笑う。
「まあね。仲間の無事が何より。仲間思いなあんたたちなら理解できるだろう?」
さらに不快そうに稀炎は顔をこわばらせ、炎の火力を上げる。
堕天馬は煽るように熱い熱いと言い放ち、体を霧状に変化させて炎を逃れる。役割を失った炎の隣で堕天馬は実体化し、すでに治りかけている手足を見せびらかすようにして立つ。
「今のボクだと、炎神相手にどこまで戦えるんだろう。人形の青い糸もあるし、一回殺すくらいまで持っていけたら満足なんだけど、できるかな」
堕天馬は楽しそうにそう言いながら、再び周りにクナイを出現させる。
無数に展開された黒いクナイは、触れたものの妖力を奪い、朽ちさせ、虚無へ還元する堕落族の力を宿している。稀炎はそれに動じず、冷たい視線で堕天馬を見るのみだった。
「堕落族相手に手加減するつもりはない。四柱を倒すなんて計画がどれほど無謀なものか、その身に刻んであげましょう」
友好的と知られている炎神だが、今の稀炎の声は冷徹で、視線で相手を殺すほどのオーラを纏っている。
それでも攻撃の素振りを見えないことに、堕天馬は少し違和感を覚える。先手を打とうと展開したクナイに意識を向けた時、ふと体温の上昇を感じた。
「こいつっ!」
咄嗟に体を霧状にし、稀炎の術から逃れる。炎神と呼ばれる稀炎だが、ただの炎の神ではない。彼女は炎や大地、温度など様々なものを操り生み出す力がある。堕天馬の体温をいじり、血液を蒸発させることも容易いのだ。
「肉体を消したって無意味よ」
霧状の堕天馬の周りの温度が急上昇し始める。漂う妖力ごと燃やし尽くされそうな熱。堕天馬は霧状の体を手のひらサイズの空間に集め、周りに妖力のシールドを張る。熱から逃れられたが、シールドの維持で妖力がごりごりと削られていく。
早く反撃に出なければと堕天馬は周囲を確認する。先ほどのクナイは霧化した時に消滅させてしまった。十字の剣だけが床に突き立てられている。他は部屋の瓦礫と壊れたベッドと扉。
堕天馬は自らの力を分け与え、五体の怨霊を発生させる。そして十字の剣まで飛んで実体化し、剣を掴むとそれを振り回して周囲の瓦礫を粉砕した。壁も天井も破壊し、土埃で二人の視界が遮られる。
視界が奪われようと、稀炎の場所は気配で察知できる。稀炎も同じであろうが、周囲には堕天馬と同じ力を宿した怨霊が五体動き回っており、堕天馬本体の居場所を紛らわせている。
熱と埃で息苦しい中、堕天馬は怨霊たちに襲撃の動きを命じ、剣で稀炎を引き裂こうと急接近する。近づくほど熱さは増し、布に覆われていない肌が焼かれるように痛む。
「無駄な小細工を」
稀炎の姿が見えると同時に、呆れた声が発せられる。
首を分断する直前だった刃は業火に包まれ、それ以上前に動かなくなる。少し遅れて怨霊たちが稀炎に襲いかかるが、一瞬で炎に包まれて焼き消されてしまった。
「このままあなたも焼き尽くされなさいな」
稀炎がにこりと笑うと、十字の剣を受け止めている炎が柄の方へと範囲を広げていく。
「そんな炎、消滅させてしまえばいい」
「消滅の力以上の炎で飲み込むまでよ」
堕天馬の剣から瘴気が溢れる。堕落族の闇の力が炎を消し去るが、稀炎も攻撃の手を緩めない。消滅の力が間に合わない量の炎を発生させ、堕天馬の腕を灼熱が包み込む。腕に巻かれていた青い糸も燃やされてしまった。
再び霧化して逃れようとした堕天馬だが、同じ手を二度もくらう炎神ではなかった。堕天馬よりも早く動いて拳を固めると、ぎょっとした相手の鳩尾に右アッパーを捩じ込んだ。
「ぐっ、うああああああ!!!!!」
一発クリティカルにくらってしまい、思わず息が詰まる堕天馬。追撃に備えようと手足に力を入れた直後、体内から焼かれるような痛みに絶叫した。熱い。体内が破壊されるような強烈な苦痛に、堕天馬は後ろによろめいて地に手をつく。
「はぁ、はぁ……。さっすが四柱、幻夢界最強の神……」
堕天馬は苦痛で汗をだらだら流しながらも、歪んだ笑みで稀炎を睨む。
「ねえ。あなたはなぜそこまでしてあの人形の見方をしているの?並行世界やら未来やら、疑わしい内容に縋るほど堕落族は危機に陥ってるわけ?」
「はあ?そんなわけないだろう。むしろ勢力を増してる方さ」
堕天馬の答えに稀炎は理解できないと首を振る。
痛みが引いてきた堕天馬は、まだ肩で息をしながらも先ほどよりしっかりした声で言葉を続ける。
「あの人形が言っていることが本当でも嘘でも、ボクはどうでもいいんだよ。堕天霊様が復活してもしなくても、ボクらは幻夢界を破壊し、お前ら四柱を殺すだけ。
人形に協力してあげてるのは、あの子の負け様が見たいからだよ。あんなに大きな希望、並行世界まで背負った希望を持った子が絶望に打ちのめされた時、どんな味がするか想像するだけで堪らないだろ?聖都崩壊とやらが待ち遠しい――」
饒舌に語り始めた堕天馬だが、言葉の途中でまたしても苦痛の唸りをあげる。額のツノがめり込むのも気に留めずに地面に身を丸め、稀炎を警戒する余裕もない。
「貴様っ、ぼ、ボクに、何をした!?」
「あら、希望を欲しがってるみたいだから、私の加護をあげたのだけれど。気に入らなかったかしら?」
稀炎はアッパーの仕草をし、憐れみの笑みを浮かべる。
精神の加護。対象の精神力を強固にし、メンタルを安定させるもの。プラス思考により妖力の上昇も見込める聖なる力。
神聖な光の力で、堕天馬の堕落族の体は拒絶反応を起こし、体内から稀炎の炎に焼かれていた。堕天馬が希望を抱き、食らうたびにそれは発動する。
「よくも……。こんな不味い希望食えるかよ……。ははっ、こりゃこてんぱんにやられたな」
堕天馬はよろよろと上体を起こす。
「さあ、そのボロボロの姿を人形に見せに行ってあげなさい。あ、そうそう、これも伝えて」
稀炎は一度言葉を切ると、少し声のトーンを落として脅すように言った。
「並行世界に干渉できるのを自分達だけと思わないことねって」
「見逃してくれるなんて、ヤサシイ神様だなぁ。分かったよ、伝えたらこの呪い解けよな」
「嫌よ」
「くたばれクソ神」
堕天馬は剣を鎖でベルトに繋ぐと、中指を立てて稀炎を睨んでそう吐き捨てる。そして体を霧状にしてその場から姿を消した。
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